古川 氏一(ふるかわ うじいち、うじかず、天明3年(1783年) - 天保8年6月21日1837年7月23日)は、江戸時代中後期の旗本、和算家。通称は新之丞。別名に謙。字は珺童(くんどう)。芳春と号す。子に古川氏朝

父の古川氏清に和算を学び、父の興した至誠賛化流を興隆した。のち関流和田寧にも師事した。天保8年に55歳で没した。法号は泰寛院。

著書 編集

  • 「諸角書様図解」(寛政9年(1797年))
  • 「額面論義」(享和3年(1803年))
  • 「算法弧矢弦解考」(文政12年(1829年))
  • 「算学大系図」
  • 「珺童先生義解」
  • 「珺童先生筆題」

参考文献 編集

  • 日本人名大辞典(講談社)