北前船主の館・右近家
北前船主の館・右近家(きたまえせんしゅのやかたうこんけ)は福井県南条郡南越前町河野(旧河野村)にある南越前町立の資料館。
北前船主の館・右近家 | |
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施設情報 | |
正式名称 | 南越前町北前船主の館右近家[1] |
事業主体 | 南越前町 |
管理運営 | 南越前町 |
所在地 | 福井県南越前町河野第2号15 |
プロジェクト:GLAM |
概要
編集元北前船主の右近権左衛門家の旧宅等を改修し、同家より寄託された北前船の資料等を展示している。1989年開館。
利用案内
編集
- 開館時間 休館日
AM9:00~PM4:00 毎週水曜日および年末・年始(12月29日~1月3日)休
- 観覧料
大人(一般・大学・高校)500円 団体450円
小人(小中学校)300円 団体270円 *団体は20人以上
- アクセス
JR武生駅 福鉄バス河野経由越前海岸行き 32分「河野」下車すぐ
北陸自動車道敦賀ICから車で30分 南条サービスエリアICから車で20分
右近権左衛門家
編集右近権左衛門家は、江戸時代初期の1680年(延宝8年)に河野浦の金相寺3代目住職漸祐が、4代目となる専祐の弟を寺の養女と縁組させ、田畑山林とともに船1隻を与えて分家させたことに始まる[2]。代々の右近家の船は、他の河野浦の者と同様に、近江商人の荷所船[3]として松前蝦夷地と敦賀等を結ぶ日本海を往復していたと思われる。しかし18世紀半ば過ぎから近江商人の荷所船として活動するかたわら、自ら商品を仕入れ販売する買積み商いも行うようになっていった。
右近家は9代目右近権左衛門(1816年(文化13年)生まれ)によって大きく飛躍する。 9代目は従来から右近家が所有していた廻船に加え、同郷で姻戚関係にある中村三郎右衛門家や商取引のあった大坂の問屋商人と廻船を共同経営する積極経営を展開し、次々と廻船を増やしていった。先代の8代目権左衛門の亡くなった1853年(嘉永6年)時点で右近家所有廻船は3隻、利益が約1,600両だったのに対して、10年後の1863年(文久3年)には廻船数11隻、利益は12,000両余に達している。
10代目右近権左衛門
編集(嘉永6年9月17日 - 大正5年2月9日)は明治期の実業家。日本海上保険(現在の損保ジャパン日本興亜の前身)を設立。
11代右近権左衛門
編集(1889年 - 1966年4月27日)は日本の実業家。慶應義塾大学部理財科卒業[4]。日本海上保険社長、日本火災海上保険会長を務めた。
参考文献
編集- 慶応義塾 編『慶応義塾総覧 大正3年』慶応義塾、1914年(大正3年)。
- 野依秀市 編『財界物故傑物伝下巻』実業之世界社、1936年(昭和11年)。
- “右近権左衛門家の歴史”. 南越前町. 2016年1月30日閲覧。
- “右近家の廻船業の展開 - 『福井県史』通史編4 近世二”. 福井県. 2016年1月30日閲覧。
- 南保 勝. “「北前船主の館 右近家」を訪ねて”. 福井県立大学 地域経済研究所. 2016年1月30日閲覧。
脚注
編集- ^ “南越前町北前船主の館右近家の設置及び管理に関する条例”. 南越前町 (2005年). 2016年1月30日閲覧。
- ^ 右近権左衛門家の歴史、南越前町観光情報サイト
- ^ 運賃を受け取り荷物を運んだ船
- ^ 『慶応義塾総覧 大正3年』196-199頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月28日閲覧。
外部リンク
編集- “北前船主の館・右近家”. 南越前町. 2016年1月30日閲覧。
- “北陸の歴史 ニッポンを運んだ北前船”. 石川県観光戦略推進部. 2016年1月30日閲覧。