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吉田 二郎(よしだ じろう、1931年ころ - 2003年3月15日[1])は、日本登山家、後には松山荘二と名を変え、おもに雑誌記者として活動した。

鹿島槍北壁と執筆編集

第二次世界大戦後、『岳人』や『山と渓谷』に記事を執筆したことで知られた。1957年に、自らの鹿島槍ヶ岳の北壁初登攀記録などを含めて、鹿島槍の登攀記録をまとめた『鹿島槍研究』を出版した[2]

1958年第2次RCCが結成された際には、藤木三郎奥山章とともに会の中心となった[要検証]

続けて1959年には『岩と雪の王国』を出版した[3]

疑惑編集

しかし、吉田が主張したルートのうち8件について疑義があるという見解が、所属していた山岳会「登嶺会」から出され『岳人』に掲載された。吉田はこれに応じた反論を出したものの、その後は山岳界から姿を消してしまった。

松山荘二編集

山岳界から身を引いた吉田は、松山荘二の名で雑誌記者として生活した。松山の実家は古書店であり、松山自身も一時は古書店経営を試みたが、これはすぐに頓挫した。実家の古書店「したよし」は、父である3代目の当主が1991年に死去し、松山はこれを継がずに店を閉じた。

おもな著書編集

松山荘二 名義編集

脚注編集

  1. ^ 死去時に「享年72歳」と表現されている。
  2. ^ 鹿島槍研究”. 国立国会図書館. 2018年1月17日閲覧。
  3. ^ 岩と雪の王国”. 国立国会図書館. 2018年1月17日閲覧。

外部リンク編集