吉田 政雄(よしだ まさお、1904年明治37年〉1月8日[1] - 1988年昭和63年〉11月12日[1])は、日本政治家北海道亀田市(現・函館市)長。

来歴

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現在の北海道十勝郡浦幌町出身[1]1927年北海道函館師範学校(現・北海道教育大学函館校)専攻科卒[1][2]。卒業後は函館など道内各地の小学校で教職に就く[1][2]。戦後は函館市視学、同教育長、中学校校長を最後に1963年に退職した[2]。同年の亀田町長選挙に立候補したが137票差で落選した[3]1967年、現職を破り亀田町長に初当選[4][3]。町長就任後は教育と住民福祉に力を入れた[2]。一方で長年の懸案であった函館市との合併を推進した[5][6]1971年に再選[4]。同年、亀田町は市制施行し、亀田市となり、市長に就任した[1]。市長就任後は市の木をねむの木に決定、市民憲章を制定した[2]。亀田市は1973年に函館市と合併し、合併後は函館市顧問となり[1]1975年の函館市長選挙に立候補したが現職の矢野康に敗れて落選した[7]。同年、市公民学会会長となった[1]

脚注

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参考文献

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