呉 普(ご ふ、拼音: Wú Pǔ、生没年未詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての医師。字は未詳。徐州広陵郡の人。

略歴

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華佗の弟子の1人。呉普は師の治療法に従って施術し、病を完治させた事例も多かった。

呉普に対し、華佗は「人体は運動を欲するもので、酷使するのはいけないというだけのことだ。絶えず動くことで穀物の精気が消化され、血の流れはよくなり、病も生じない。いわば蝶番が(門を開閉する動作により)朽ちないでいるようなもの。このようにして古の仙人たちは導引術を行い、熊頸や鴟顧[注釈 1]をして、あらゆる関節を動かし、不老を探求したのだ」と言って、「五禽戯」という様々な動物の動作を模した導引術の動作を教えた。その体操は病を取り除き、足の動きを順調なものにして、体を柔軟にするのだといい、呉普が言われたとおりにした結果、90歳を過ぎても聴覚・視覚ともにはっきりしており、歯も生えそろっていたという[2]

著作に『呉普本草』がある。成立時期は239年頃だとする説があり、最初期の言及は代の阮孝緒『七録』、陶弘景本草経集注』に見られる[3]北宋時代にはすでに散逸したが、『太平御覧』に全体の3分の2ほどが引用されており、その内容をある程度うかがうことができる[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 導引術の体操の一種。熊を模したぶら下がり運動と、鴟(フクロウ)を模した首振り運動[1]

出典

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  1. ^ 中川・李 1989, p. 63.
  2. ^ 『三国志』巻29華佗伝
  3. ^ 塩原仁子、真下順一「『呉氏本草』について」『日本薬学会年会要旨集』第4号、2007年、210頁。 
  4. ^ 『呉晋本草』について」(PDF)『日本医史学雑誌』第2号、1986年、250-251頁。 

参考文献

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  • 三国志』巻29華佗伝
  • 後漢書』巻82下華佗伝
  • 中川一彦、李正派「障害者レクリエーションの成立史に関する一考察--Avedonの『三国志』引用について」『体育科学系紀要』第12号、1989年、59-64頁。