和気 巨範(わけ の しげのり/おおのり)は、平安時代初期から前期にかけての貴族隠岐守・和気時盛の子とする系図がある[1]官位従五位上宮内大輔

 
和気巨範
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上宮内大輔
主君 文徳天皇清和天皇
氏族 和気氏
父母 父:和気時盛
兄弟 巨範彜範?
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経歴 編集

文徳朝初頭の仁寿元年(851年従五位下に叙せられる。仁寿3年(853年)陸奥権介に任ぜられると、斉衡3年(856年)陸奥介と、文徳朝の中盤以降は陸奥国司を歴任した。

その後散位となるが、天安3年(859年)3月に清和天皇の即位を報告するために宇佐八幡宮に派遣され、財宝・神馬幣帛する[2]。同年11月の大嘗祭に伴う叙位にて従五位上に叙せられた。貞観3年(861年大蔵少輔に任ぜられるが、翌貞観4年(862年土佐守として再び地方官に転じる。貞観6年(864年宮内大輔に遷り、京官に復した。

官歴 編集

六国史』による。

脚注 編集

  1. ^ 「和気氏系図」『続群書類従』巻第171
  2. ^ 『日本三代実録』貞観元年3月1日畳

出典 編集