唐尊(とう そん、? - 23年)は、中国前漢時代末期から代にかけての政治家。伯高豫州沛郡の人。

事跡編集

姓名 唐尊
時代 前漢時代 -
生没年 生年不詳 - 23年地皇4年)
字・別号 伯高(字)
本貫・出身地等 豫州沛郡
職官 太傅〔新〕
爵位・号等 平化侯〔新〕
陣営・所属等 王莽
家族・一族 〔不詳〕

新の王莽配下の政治家の一人である。初めは、山陽郡の張無故(字は子儒)に儒学を学んだ。地皇元年(20年)、太傅平晏が死去すると、唐尊はその後任として太傅に任命された。この時に唐尊は、「国が貧しく人民が苦しんでいるのは、奢侈が原因です」と王莽に進言している。

漢書』鮑宣伝によれば、唐尊は、破れた古着を着て、穴の開いた靴を履き、粗末な器で食事をとり、公卿にもこれらの器を贈ったとしている。また、同王莽伝によれば、袖の短い衣服(「短衣小袖」)を着て、牝馬が引く粗末な車(「柴車」)に乗り、藁を寝床としたという(粗末な器の話も掲載されている)。さらに、男女が並んで歩いている姿を見ると、唐尊はこれを捕え、「象刑」と称して赤い染料(「赭幡」)でその衣服を染めた。

唐尊は、以上のような清貧な振舞いを示すことで、王莽から賞賛を受け、平化侯に封じられた。しかし『漢書』鮑宣伝は、唐尊を前漢末期から新代にかけての「清名之士」の1人とする一方、「虚偽により名声を得た(「被虚偽名」)」とも非難している。

地皇4年(23年)10月、王莽が更始帝軍によって漸台に追い詰められると、唐尊も他の同僚たちとともに、王莽を護衛していたが、敵兵との戦闘の中で討ち死にしている。

参考文献編集

  • 漢書』巻72列伝42鮑宣伝
    • 同巻88列伝58張山拊伝
    • 同巻99下列伝第69下王莽伝下

関連項目編集