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善應寺(ぜんのうじ)は、群馬県伊勢崎市にある天台宗寺院である。山号は施無畏山。院号は鏡泉院。本尊は聖観世音菩薩

善應寺ぜんのうじ
Zenno-ji (Isesaki).JPG
所在地 群馬県伊勢崎市曲輪町10-11
山号 施無畏山
宗旨 天台宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 伝・慶安年間
開山 宗存
開基 守澄法親王
正式名 施無畏山鏡泉院善應寺
文化財 小畠武堯墓所(伊勢崎市指定史跡)
公式HP [[1] 善応寺公式ホームページ]
法人番号 5070005004547
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歴史編集

創建は江戸時代の初期。宗存(そうぞん)阿闍梨という高僧が観音の霊験を受けたため、東叡山寛永寺に詣でたところ、貫主である守澄法親王より寺号と仏像を下賜され、一寺を成したという。以来、江戸時代を通して寛永寺の直末であり、明治維新にあたっては延暦寺の直末となっている。創建当初は、伊勢崎陣屋の東門前に所在したが、享保年間の火災により現在地に移転。1945年(昭和20年)の伊勢崎空襲では全焼の被害を受けるが、戦後になり徐々に再建を進めた。

史跡編集

  • 小畠武堯墓所(伊勢崎市指定史跡)
  • 情深墳:国定忠治の墓
  • 新井雀里の墓

国定忠治との関わり編集

 
国定忠治の肖像(田崎草雲画)

江戸末期の侠客として名高い国定忠治の墓(情深墳)がある。忠治は嘉永3年(1850年12月21日上野国大戸関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)において磔刑に処されている。忠治の遺体は三日間晒された後に打ち捨てられたが、国定家の菩提寺である養寿寺(伊勢崎市)の住職・貞然により密かに引き取られ、供養されたという。その後、関東取締出役の探索が強化され、貞然は忠治の首を再び掘り起こすと別の場所に埋葬し、秘匿したという。

忠治の愛妾であった菊池徳は、処刑場より遺体の一部を盗み出し、そのうちの片腕を善應寺に預けたとされる。第二次大戦によって焼失するまでは、実際に「忠治の片腕」と伝えられるものが保管されており、小説家の長谷川伸尾崎士郎といった文化人が参詣している。

現在では、「情深墳」と呼ばれる忠治の墓が境内に残る。侠客の墓は、験を担ぐ参詣者によって削られる傾向があるが、情深墳の場合には烈婦と恐れられたお徳の情念が籠り、墓石を削ると「運まで削る」といわれた。そのため、現在に至っても建立当初の面影がそのまま残っている。

交通アクセス編集

伊勢崎駅南口から徒歩5分

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集