喜井 黄羊(きい こうよう、1901年9月12日 - 1997年)は、日本画家徳島県海部郡美波町(旧由岐町)出身。富岡鉄斎の流派を受け継いだ日本画家として知られる。

経歴

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徳島県海部郡由岐町に生まれる[1]。関西芸術院を卒業後、1932年矢野鉄山に師事し、本格的に南画を学ぶ[1][2]。新文展、日展などに出品する[1]。大阪美術協会常任委員監査、吹田市美術家連盟役員、吹田市展審査員、大阪美術家協会委員などを歴任した[1]。文部大臣賞、大阪府芸術文化功労賞、吹田市文化賞を受賞[1][2]紺綬褒章受章[1][2]。由岐町名誉町民[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 喜井黄羊の詳細 - 作家詳細情報 - 徳島県立近代美術館”. art.bunmori.tokushima.jp. 2021年11月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 喜井黄洋 : 陸の孤島だより~美波町由岐ナビ~”. www.minamicho.info. 2021年11月7日閲覧。

関連項目

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