喜多 六平太(きた ろっぺいた)は、能楽シテ方喜多流宗家の当主が用いた名。

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以下の3人が、当主として六平太の名を名乗った。中でも明治〜昭和期に活躍した名人・14世喜多六平太が特に名高い。

由来 編集

「六平太」の名は、ポルトガル語巾着(堤物)を指す言葉とされる「ロッペイタ」に由来しているとされる。

即ち、『喜多流秘事書』によれば、喜多流初代・北七大夫は幼少期、豊臣秀吉に腰巾着のように常に近侍して寵愛を受け、そのため秀吉より南蛮製の巾着の名である「ロッペイタ」の名を授かり、幼名として「六平太」を名乗ったのだという。

野々村戒三によればポルトガル語の「進物、賄賂」という言葉がこの発音に近いといい、そこから献上品であった堤物が「ロッペイタ」の名で呼ばれていたのではないかとも推測される[1]

また後述の14世六平太によると、この巾着と言われるものが喜多家には伝わっており、革製のものであったという[2]

脚注 編集

  1. ^ 野々村戒三『能の今昔』木耳社、1967年、17-18頁。 
  2. ^ 喜多六平太『六平太芸談』同信社、1965年、281頁。 

関連項目 編集