嘯月堂(しょうげつどう)は、明治から昭和期にかけて島根県松江市で活動した彫金師・塩津家の屋号である。
塩津親次、塩津正寿、塩津常夫の三代に渡って活動した。
塩津親次(しおつ ちかつぐ)(元治1年<1864年>〜昭和20年<1945年>)
- 松江市の彫金師・初代村田寿親(としちか)の次男として生まれ、その後、松江市魚町の塩津家の養子となる。
- 寿親に彫金の手ほどきを受け明治24年に上京。東京美術学校教授の加納夏雄の門下に入り片切彫を体得し、海野勝珉に肉彫を学んだ。明治26年に帰郷。各種博覧会・美術展に入選多数。日本美術協会、日本金工協会委員等を歴任した。
- 晩年は俳句、茶道、古美術をたしなみ風流人として生きた。号は嘯月堂、嘯月老、独楽庵嘯月など[1]。息女が五代目の小島漆壺斎に嫁している。
- 弟子に河井寛次郎のキセルの製作で知られる金田勝造(明治26年<1893年>〜昭和39年<1964年>)がいる[1]。
塩津常夫(しおつ つねお)(大正14年<1925年>〜平成5年<1993年>)
- 二代正寿の長男として生まれる。本名は恒雄。戦後、父正寿の元で彫金に励み三代目嘯月堂を襲名する。
- 片切彫、肉彫、象嵌などの技法を用い、初代・二代にはない重厚な趣の作品を残した。県展・市展等入選多数。新協美術会工芸部会員、島根工芸連盟理事などを務め県内工芸界に貢献した。[4][5]。
- ^ 『新修松江市誌』松江市 1962年 1690p
- ^ 『新修松江市誌』松江市 1962年 1690p
- ^ 『マドモアゼル』小学館 1962年9月号 230p
- ^ 『彫金 塩津常夫作品集』
- ^ 『新修松江市誌』松江市 1962年 1690p