嘯月庵雲僲
日本画家
嘯月庵 雲僲(しょうげつあん うんせん) / 渡辺 雲僲(わたなべ うんせん、1892年(明治25年) - 1972年(昭和47年)9月9日、本名:渡辺 俊彦)は、日本画家[1]。
経歴
編集広島県安芸郡矢野村(現・広島市安芸区矢野)で、造り酒屋の次男として生まれた[1]。11歳の時に広島の里見雲嶺に学ぶ[2][1]。初号は啓迪(けいてき)[2]。後に京都の鈴木松年に学び、嘯月庵雲僲(しょうげつあん うんせん)に改める[2]。深く禅宗に参禅し、僧籍をもつ[2]。25歳の時に大分県の中津に移り住む[1]。30歳の時に耶馬渓に「雲僲窟」と名づけた庵を建て[3]、生涯をかけて耶馬溪を描き続けた[2]。作品に「深耶馬渓錦豊」「羅漢寺白光」(大分市美術館所蔵)[4]や「金鱗玉藻」(広島県立美術館所蔵)[5]、600枚もの「耶馬探勝図」等がある[2]。1972年、中津の自宅で死去した[1]。
出典・脚注
編集外部リンク
編集- 嘯月庵雲僊 - ウェイバックマシン(2013年8月1日アーカイブ分) - 孫が作成している紹介ページ
- 矢野出身の日本画家 渡辺雲僲 - 広島市文化財団