因幡町商店街(いなばちょうしょうてんがい)は、1947年から1971年まで、福岡県福岡市因幡町(現:福岡市中央区天神1丁目付近)に存在した商店街[1]渡辺通りに面した西鉄街に直結しにぎわいを見せたが、1971年に火災で焼失、跡地には地権者により2棟のビルが建てられ、そのビルも大規模再開発計画「天神ビッグバン」に伴い2020年から解体工事が始まり、当時の面影はない。「因幡町通り」やかつて出店していた「因幡うどん」にその名残りを留める。

概要編集

因幡町の町名は黒田如水の宿将「黒田二十四騎」の一人、衣笠因幡守景延の屋敷があったことが由来とされている。

太平洋戦争により焼け野原と化した福岡市街では、終戦直後から各所にヤミ市が開かれており、因幡町にもヤミ市が立ち上がった。しかしヤミ商人と買い物客の間でトラブルが相次ぎ、市民が安心して買い物ができる商店街の建設の機運が高まった。福岡市から土地の払い下げを受けた戦災復興会は、戦争被災者や引揚者を優先的に入居させ、1947年に因幡町商店街をオープンさせた。西側700坪、東側680坪。商店はいずれも12坪、1階が店舗、2階が住居で、69店舗が軒を連ねた。営業品目は衣料品・食料品・化粧品・薬局・理髪店・食堂などバラエティに富み、物不足のなか狭い通路はたいへんな賑わいを見せた。

因幡町商店街は周囲の商店街や岩田屋デパートなどとともに天神発展の一翼を担った。中でも「ハトヤ」は因幡町の顔ともいわれ、隣接する商店の利権を順次取得し、婦人服地・洋品・下着、宝石、毛皮、スポーツ用品、高級インテリア等を扱い、1971年には売上約23億円、従業員約380人を誇った。そのほか「河村家具」「天心堂薬局」「平和楼」「因幡うどん」「喫茶藤(藤館)」「入江豊香園」「新生飯店」などが有名だった[2]

しかし1971年5月27日未明、西鉄街・因幡町商店街に大火に襲われ、因幡町商店街も大半を占める22店舗が全半焼した。以前から火災の危険を感じていた地権者たちは、跡地に商業ビルの建設を構想することになる。

地権者たちは1976年11月、因幡町通りをはさんだ西側にニチイ天神店をキーテナントとした天神第一名店ビル(のちの天神ビブレビル)をオープンさせた。ニチイ天神は「ビブレ21」「天神ビブレ」と名称を変えた。しかし西日本鉄道が天神ビブレビル、隣接する福岡ビル天神コアビルと三位一体のビルを建設することになり、天神ビブレビルは2020年に解体工事が始まった。

一方、東側には1979年4月、天神東急プラザビルがオープン、1997年には「天神ビブレ2」がキーテナントになる。2001年にはジュンク堂をキーテナントとするメディアモール天神が開業。こちらも天神ビッグバンに伴い2021年に解体工事が始まっている。

脚注/出典編集

  1. ^ 天神ビブレ商店会 (1984). 因幡町商店街35年史. 福岡: 天神ビブレ商店会. https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001757449-00 
  2. ^ 天神「福ビル街区」、交差点と商店街が高めた存在感” (日本語). 西日本新聞me. 2021年7月8日閲覧。

外部リンク編集