国士

ウィキメディアの曖昧さ回避ページ

国士(こくし)には、二つの意味がある。「その時代にあって、国の中で特に優れた、有用な人物」と「憂国の士。自分の身をなげうって、国のために尽くす人物」である。

具体例 編集

前者(その時代にあって特に優れた人)は、現在の政治家、実業家、評論家などの書籍の題名に散見される[1][2]。一方、後者(憂国の士)は、歴史上の人物[3]、あるいは、名を世に知られることなく行動した人物が国士として称えられる。起源は史記で、漢の韓信は、「諸将ハ得ヤスキノミ、 信ハ国士無双ナリ:ただの将軍であればいくらでも得られるが、韓信のような国家的人材はほかにいない」と称えられた。

ただし、日本では、俗語として、極端な右翼を指す場合がある[4]

世に知られることなく行動した人物については、惜別の思いで活字にされる[5][6]

啓蒙雑誌「國士」 編集

日本のオリンピックへの初参加に尽力したことで有名な嘉納治五郎は、個人は放任するのではなく、指導することで才能を発揮し、その時代に応じた貢献ができる。これを学校教育だけに頼るのではなく、精神修養、身体鍛錬を生涯教育として行う必要があるとして、「造士會」を設立し、啓蒙雑誌「國士」[7]を明治22年(1889年)に創刊した。

脚注 編集

  1. ^ 『激しき雪 最後の国士・野村秀介』幻冬舎、10/10。 
  2. ^ 『国士鼎談 倉山満・中丸ひろむ・江崎道朗』青林堂、2016年。 
  3. ^ 田中健之 (2017). “大日本国士列傳(第1回)頭山満”. ジャパニズム (38): 152-157. 
  4. ^ 『新明解国語辞典 第8版』三省堂、2020年。 
  5. ^ 出口吉孝 (2007). “国士たらんとすれば(26)”. 北の発言 (28): 40-45. 
  6. ^ 青山繁晴 (2021). “国士の鎮魂(澄哲録片々 第37回)”. Hanada (58): 222-231. 
  7. ^ 造士 編『國士』本の友社 : 講道館書誌編纂会、1889-1983。 

関連項目 編集