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国民(こくみん)とは、「に属する個々の人間」を指す場合と、「国に対応する人間集団をまとめて」指す場合とがある。

共産主義的なニュアンスを嫌悪するなどの理由で「人民」(じんみん)の言い換えとして用いられることも多いが、外国人を含むかどうかなど意味合いも変わるため、「国民」ではなく「人々」などと言い換える場合もある。

目次

国民:国籍を持つ人 (national, citizen)編集

個々の人間を指す場合、国民とはある特定の国において、その国の国籍を持つ者をいう。国民と対比して、その国の国籍をもたない者を外国人という。

日本国内において法用語として用いられる場合、国民の要件を定めた日本国憲法における「国籍法 (日本)」を参照。

国民:政治共同体 (nation)編集

何らかの共通属性を根拠にしてまとまった広域の政治的共同体を、集合的に国民と呼ぶこともある。国民は、居住する地理範囲に一つの国家を形成することが予定される。そのような条件を満たす国家を、国民国家と呼ぶ。この意味での国民は、民族と重なる例が多いが、言語・文化にもとづかない国民もあるため、完全に同等というわけではない。

国民が持つとされる属性は、文化言語宗教歴史経験など国によって基準が異なる。また、どのような基準をとっても国内外にそこから外れる人がでてくる。そのような逸脱に対しては、同化・排斥・追放などの動きが生じる場合がある。

国民は、共通属性の産物ではなく、政治の産物である。国民の擁護者が出現し、その宣伝や教育が成功して、人々が自らを宣伝された区分での国民であると自覚したときに、国民が生まれる。ベネディクト・アンダーソンは以上のように説き、国民を「想像の共同体」と規定した。実際に、共通属性を持つ集団が国民意識を生まないことは非常に多く、スイスの例のように共通属性がないところに国民意識が生まれることも稀にある。

デイヴィッド・ミラーは、ナショナリティ(国民意識)はナショナル・アイデンティティとして、人間のアイデンティティの構成する重要な要素だという[1]。ただし、他のアイデンティティを排除したり、特権的な位置にあるわけでも無いと注意している。また、ナショナリティにはネーション(同胞国民)という倫理共同体を作り、正義分配といった規範を形成し、ある種の義務感を生じさせる機能がある。ナショナリティによって作り上げられたネーションは、共同で物事を決めていく政治の基本的な単位であるという[1]

一方、対内的には、国民という概念は、政治を一部の特権者や有力者だけに関わるものとする考えを退ける。少なくとも観念的には、その範囲内のすべての人を身分、財産、能力等に関わらず政治共同体の中に含め、国家の行為をすべての人の共同行為とみなす。

それゆえ、国民という概念からは、ある共通属性から外れる人を排除し(場合によっては差別し)つつ、区切った範囲内においては人を平等化するという二重の作用が生まれる。このような国民を求める運動は、歴史的には、18世紀ヨーロッパ国民主義として始まり、20世紀には世界中に広まった。

最高法規である憲法において国民主権を定める国家において、国民は主権を有し、主に選挙権及び被選挙権を以って参政権を行使することができる。

語源(natio,gens)編集

元来、nationはラテン語において「生まれ」を意味するnatio(ナティオ)に由来する概念であり、gens(ゲンス)とならんで血統と出自の女神を意味した[2]。家族より大きく氏族よりも狭い、「同じ生まれに帰属する人々」を指す言葉であった。

中世における語義編集

中世にはnatioという言葉はボローニャ大学パリ大学をはじめとして、同じカレッジの構成員、または学生たちのグループを指した。彼らは同じ地域の出身で、同じ言語を話し、自分たちの慣習法に従うものとされた互助的な自治組織であった。しかしこれらは国家を基準としたものではなく、あくまでもゆるい地理的な基盤によるものであった。たとえば、1383年1384年には、パリ大学で神学を学んでいたジャン・ジェルソンは二度にわたってフランス人学生団・同郷団(French nation・フランス生まれでフランス語を話す学生たち)の代表に選出された。パリ大学での学生のnatioへの分割はプラハ大学でも踏襲された。1349年の開校以来、ストゥディウム・ゲネラーレ(studium generale)は、ボヘミアバイエルンザクセンマイセン)、そして、ポーランドのnationに分割されていた。

欧州世界における語義の変遷編集

リーア・グリーンフェルドによれば英語としての nation は以下のような五段階の変化を経てきた[3]

  1. ローマ帝国時代にはnatioは同一の地域からやってきた、通常ローマ市民権を持たない異邦人の集団を指し、主として軽蔑的な含意があった。(a group of foreigners)
  2. 中世には大学の成立以後、nationは同郷学生団を指し、彼らが論争を常としたことから、意見を共にする党派をも指すようになった。(a community of opinion)
  3. 続いて、nationが、聖堂参事会(church council)における党派に適用された結果、その構成員が聖俗の領主などであったことから、エリートの含みを持つようになった。
  4. 16世紀初期のイングランドで、nationは主権を有する人民(a sovereign people)を指すようになった。
  5. そうしてその他の国の人々がnationを自らを呼ぶのに用いるようになった後に、nationが指す対象はさらに変わり、一群の特有の人々(a unique people)の意味になった。

「nation」の理論的定義編集

ヘルダー、フィヒテの定義編集

nationを政治的独立を獲得する独特な共同体として考える定義としては、まずヘルダーをあげることができる。ヘルダーはnationを一種の

  • 特殊な言語と文化を備えた集団

とみなした。19世紀のはじめ、フィヒテはこの考え方を推し進め、一個の独特の言語グループはかならず一個の独立のnationであり、自らの生活を持たねばならず、そしてまたその自らの生活を制御できなければならないと主張した。

  • 「そこにひとつの独立の言語を見出すことができるところには、ひとつの独立のnationが存在する。」(フィヒテ)

スターリンの定義編集

スターリンによる、1913年の論文『マルクス主義と民族問題』[4]での定義は以下のようなものである。

「Нация(ナーツィヤ)とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人間の堅固な共同体である。……これらすべての特徴が存在するばあいに、Нацияがあたえられるのである」

しかし、研究者の中にはこれらの客観的特質がnationの定義の十分条件をなすことを、はなはだしい場合には必要条件をなすことすら否定する者もいる(Canovan 1996; Gellner 1983; Hobsbawm 1992; Renan 1994)。

現在の定義編集

ホブズボームの説得力のある指摘によれば、もしも、nationに一個の定義を下さなければならないならばいわゆる客観的な条件はすべて適切な基準ではない。言語を例に挙げて、ホブズボームは資料に訴えている。イタリアが1860年に統一されたとき、正統な標準イタリア語を話せたのは全体の2.5%にすぎなかった。他にも、1789年のフランス革命の勃発時に半分以上のフランス人はフランス語を話せず、南フランス住民の殆どはオック語話者だった。言い換えるならば、いわゆる民族言語というものは、主としてナショナリズムの実践の結果なのであって、ネーションやナショナリズムの原因とみなすことはできないのである。そのうえ、こうしたnationを定義するのに用いられてきた「客観的」基準、言語、エトニ、その他のものも、それ自身が変化しうるものであり、明確な定義も欠いている。

われわれはゲルナーにこうした観察に関連した論点を見ることができる。

人間を分類する自然で神与の仕方としてのnation、ずっと遅れてやってきたが生得の政治的運命としてのnation、それは神話である。ナショナリズムは、時に先在している古い文化を取り上げて、それらをnationに変えて行くこともあるし、時にそれらを作り上げることもあるし、しばしば先在文化を完全に破壊することもある。よかれあしかれ、それが現実なのであり、一般的に不可避の現実なのである[5]

主観的な意識による定義編集

nationの本質は主観的な意識(subjective consciousness)なのであって、それが政治的、文化的、生物学的なものであるかどうかにかかわらず、客観的に共有される特質にはよらないとする議論もある。

ヒュー・シートン=ワトソンは「ひとつのグループが相当部分を占め、みずからを一個のnationをなすべきと考えるようになったとき(consider themselves to form a nation)、あるいはかれらがすでに一個のnationをなしているかのように振舞うようになったとき(behave as if they formed one)、たちまちひとつのnationが存在するようになる」[6]と主張する。

エリック・ホブズボームも同様の立場をとる。「最初の作業仮説として、人々の十分に大きな集団があって、その成員が自らを「ネイション」の一員とみなしているのであれば[7]、それをネイションとして取り扱うことにしよう[8]

またアーネスト・ゲルナーは一方では、まず闘争がはじめにあって、そのあとに、nationがやって来ることができるということを主張し、他方ではまた、ひとつのnationはかならず、互いにひとつのnationに属しているとみなしている人々からなる必要があることを強調する[9]

nationとは人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物なのである。(例えば、ある領域の住人であるとか、ある言語を話す人々であるとかいった)単なる範疇に分けられた人々は、もし彼らが、共有するメンバーシップの故に、互いにある相互的な権利と義務とを持っていると固く認識するならば、その時、nationとなる。ある範疇の人々をnationへと変えていくのは、お互いがそのような仲間であるという認知であって、何であれ、彼らをメンバー以外の人々から区別するような他の共通する属性ではないのである[10]

実際、こうした現代の研究者がnationの主観的な構築性を指摘するはるか以前に、こうした観点はいまでは古典となっている社会科学の著作のなかに早くから現れていた。社会学の巨匠マックス・ウェーバーは民族体(nationhood)の間主観的側面を強調し、グループのいわゆる客観的特質は、nationを定義するのには役に立たたず、そのため、nationという概念が、「価値的領域(sphere of values)」に属していることを発見するに至った。nationという概念は、主として、本質的に、「他のグループを前にしてもつ一種特別の連帯感情」の上に作り上げられている[11]

ルナンもまた1882年に早くも指摘している。「共同の地理や地域、言語、種族あるいは宗教、そうした条件を持っているということは、少しもnationの存在の十分、あるいは必要条件とみなすことはできない。それに反して、nationは互いに関連した二つの要素をもっている。ひとつは、過去の記憶の豊かな遺産の共有[12]であり、もうひとつは、ともに暮らし、これらの遺産を受け継いでいこうという欲望[13]である。そのため、われわれがnationの本質について認識を深めようと思うのならば、こうした特別な歴史の意識から出てきた連帯感(solidarity)の探求を進めなければならない。そのため、nationは一種の道徳的形式(a form of morality)として理解されるべきなのである(Renan 1994)。

ベネディクト・アンダーソンの定義編集

ベネディクト・アンダーソンの有名な定義がある

  • 「nationとはイメージとして想像された政治共同体である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」

アンダーソンによればnationは一種の人工物[14]であり、一個の「想像された政治的な共同体」である。しかし、このことは、nationが「虚偽の[15]」存在であることを意味しない。採用すべき戦略は、想像の様式、及びこの想像を可能にした制度を用いて、この2つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。アンダーソンが挙げている例は「印刷-資本主義(print-capitalism)であり、またそれによって出現した、nationを一個の社会学的な共同体へと変えた新しい文学のジャンルであるところの、新聞と小説である[16]

実際には、しかし、日々顔を付き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである。共同体は、その真偽(falsity-genuineness)によってではなく、それが想像されるスタイル(the style)によって区別される[17]

クレイグ・キャルホーンの定義編集

スタイル以外でも、共同体を区別するその他の基準をわれわれは当然見出すことができる。たとえば、その規模の大小や、行政組織の階層化の程度、内部での平等の程度などなどである。nationとナショナリズムを研究する上で主要な目的は、nationにかかわる「想像された」集合的な連帯感の特殊な形式を見出すことである。クレイグ・キャルホーンの提供する以下のリストは、多かれ少なかれひとつの共同体がnationとして想像されるための基礎的条件になりうると思われるものをあげている。

  1. 境界線(boundaries):地域的なものか、人口的なものか、両者を合わせたものかは問わない。
  2. 不可分性(indivisibility):ひとつのnationはひとつの統合された単位(integral unit)であるという主張。
  3. 主権(sovereignty)あるいは主権への希求:他のnationとの間にある種の公式な平等関係が維持され、また通常は一種の自主性と、自給自足性が維持されていることが必要とされる。
  4. 合法性(legitimacy)の「上昇(ascending)」的あり方:政府は大衆の意志(popular will)によって支持されている必要があり、最低限でも、「人民(the people)」あるいは「民族(the nation)」の利益に符合している必要がある。
  5. 集団の事務への大衆の参加(participation):nationのメンバーであるという身分を基礎として一定の人々が動員されること(戦争にかぎらず、民間の活動においても)。
  6. 成員の身分(membership)の直接性:すべての個人はnationの緊密な部分として理解され、成員の間にもまた完全な平等が存在すること。
  7. 文化(culture):言語、共有の信仰、価値、さらに風俗習慣などを含む混合物。
  8. 時間的な深さ(temporal depth):nationは時間的な実在でなければならず、過去と未来の世代を含み、同時にその歴史を持つ。
  9. 共通の祖先(descent)あるいは種族的な特性。
  10. 特別な歴史(history)や、時には、特定の地域との神聖な関係(Calhoun 1997, 4-5)。

注意すべきことは[18]、これらの特徴はナショナルな「修辞」なのであって、通常nationを記述する特徴として主張されるものなのである。実際、われわれは経験的な手段に訴えてnationを定義することはできない。たとえば、主権が達成されているかどうか、内部が分裂しているか、一貫性が維持されているか、あるいははっきりとした境界線を引けるかどうか、ということをいうことはできない。逆に、nationは通例大いにこれらの主張によって構成されているのであり、これらの主張は単に記述的なものではなく、規範的なものでもある。これらの特徴は、ナショナルな感情の基礎を提供するに十分でありうるが、しかし、ひとつとして絶対に必要な特徴というものはない[19]

ケラスの定義編集

異なるグループに対して、彼らが自分たちがひとつのnationを成す所以を主張するとき、そのことによって実際に、別の種類のグループが事実上建設されるのである。われわれはすべてのこうした主張を仔細に検討し、これらの主張を、その人々を結び付けている一種の信仰として認識する必要がある。ケラスは、以下のような定義を提案している。

一定のグループをなす、みずからを歴史、文化、共同の祖先によって結び付けられた共同体であると感じている人々。nationは「客観的」な特徴を持ち、これらの特徴は、地域、言語、宗教、共同の祖先を含むことができ、また、「主観的」特徴として、特別な(nationality)に対する認識と感情をも含む[20]

脚注編集

  1. ^ a b 伊藤恭彦『政治哲学』 <ブックガイドシリーズ 基本の30冊> 人文書房 2012年 ISBN 9784409001080 pp.110-115.
  2. ^ ハーバーマス『事実性と妥当性〔下〕』邦訳275頁参照
  3. ^ 『ナショナリズム』1992 http://books.google.co.jp/books?id=MnwmMOWK-PsC
  4. ^ МАРКСИЗМ И НАЦИОНАЛЬНЫЙ ВОПРОС Marksizm i natsionalnyi vopros
  5. ^ 『民族とナショナリズム』ゲルナー 加藤節 監訳 p82-83 原著1983 原文はnationは民族
  6. ^ Seton-Watson 1977, 5
  7. ^ regard themselves as members of a “nation”
  8. ^ ホブズボーム『ナショナリズムの歴史と現在』 邦訳 p10
  9. ^ Gellner 1983, 48-9
  10. ^ 『民族とナショナリズム』ゲルナー 加藤節 監訳 p12 原著1983 原文はnationは民族
  11. ^ Weber 1958, 172
  12. ^ (a common possession of a rich heritage of memories in the past)
  13. ^ a desire to live together and pass on the heritage)
  14. ^ (artifact)
  15. ^ (fabricated)
  16. ^ Anderson 1991)
  17. ^ アンダーソン『想像の共同体』原著 1991, 邦訳p17-18 太字は引用者による挿入
  18. ^ キャルホーンが正確を期して述べていることであるが
  19. ^ Calhoun 1997, 5
  20. ^ Kellas 1991, 2

関連項目編集

外部リンク編集