園常子

中御門天皇の典侍。子に忠誉法親王(1722.12.12-1788.5.16、三男、忠篤親王、聖護院、忠誉入道親王、忠與法親王、三宮、一品、三井長吏、准三后、紫金光聚寺宮)、女五宮(1724.10.30-1725.12.20、

園 常子(その つねこ、? - 1763年9月26日宝暦13年8月19日))は、中御門天皇典侍。父は権大納言園基勝[1]藤原常子とも呼ばれる。新典侍局、宰相典侍と称した。法号は是心院。

生涯

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権大納言園基勝の娘として生まれる。1719年享保4年)に後宮に入り、新典侍局や宰相典侍などと称された。聖護院の門跡を務めた忠誉入道親王と皇女・五宮を生む[2]

1763年9月26日宝暦13年8月19日)、死去。法号は是心院[2]

脚注

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  1. ^ 園家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月13日閲覧。
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社