坂木 六郎貞明(さかき ろくろうさだあき)は、幕末から明治時代の薩摩国伊集院郷士。薩摩藩の練武館の教授であった。有馬新七の叔父にあたる。

 
坂木 六郎
時代 江戸時代末期 - 明治時代初期
生誕 寛政9年(1797年
死没 明治16年(1883年
薩摩藩藩士
兄弟 四郎兵衛、六郎貞明
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真影流(直心影流)の達人として有名であった。

略歴

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19歳にして当時江戸で有名な神陰流長沼亮郷(四郎左衛門)の門下に入り、わずか5年で免許皆伝を得た剣客であった。のちに藩主斉彬は六郎を抜擢して城下士となし、造士館の助教に任命している。西郷隆盛もしばしば彼を訪問して教えを受けたという。

明治元年(慶応4年)薩摩国日置郡伊集院郷薩摩国日置郡郡山郷薩摩国日置郡市来郷薩摩国日置郡串木野郷の四郷の地頭を任命されこれを兼務した。なお地頭制度は明治4年の廃藩置県によってその長い歴史を閉じ最後の地頭となった。

日置郡串木野郷に明治2年(1867年)達徳館を設け新時代の教育の基礎を築いた。その後鹿児島県第34郷校となり串木野小学校へと変遷した。