堀 直昭(ほり なおあき、1609年慶長14年) - 1652年承応元年)5月8日)は、江戸時代前期の旗本

信濃国須坂藩初代藩主堀直重の次男。2代藩主堀直升の弟。子に直依直治(直依の養子となる)がいる。通称は惣兵衛、左門。

元和元年(1615年)、将軍徳川秀忠に拝謁する。元和3年(1617年)、兄の直升が家督を相続した際、下総国香取郡矢作1000石を分知され、采地の朱印状は寛永2年(1625年)に賜った。のち御書院番に列し、御小姓組に移り、寛永10年(1633年)2月7日武蔵国都筑郡に200石を加増される。

寛永19年(1642年)、将軍徳川家光日光東照宮参詣に供奉する。寛永20年(1643年)、幕命で豊後府内藩へ赴き、御目付の事を務める。正保4年(1647年)6月2日、地震で崩落した江戸城石垣の修繕奉行、慶安2年(1649年)7月25日、雑司が谷の御薬園茶店の修繕奉行、同年9月1日、慈眼大師天海の礼堂普請奉行を歴任した。

承応元年没。享年43。法名は玄光。駒込養源寺に葬られた。子孫は幕末まで旗本として存続する。

参考文献

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