塚原嘉一
塚原 嘉一(つかはら かいち、1894年 - 1959年)は、愛知県東春日井郡小牧町春日寺(現在の小牧市)出身の実業家・政治家。小牧町長(1944年 - 1945年)。
概要
編集朝鮮・満州・中国などに毛織物を輸出した塚原毛織の創業者である。1935年(昭和10年)頃の塚原毛織は約500人もの従業員を抱える大工場だった。塚原毛織には若い女工が多かったことから、小牧高等女学校(現在の愛知県立小牧高等学校)の開校に力を注いだ。名鉄小牧線の開業、町村立組合春日井病院(現在の小牧市民病院)の開院などにも尽力している。
経歴
編集- 1894年(明治27年) - 出生。
- 1917年(大正6年) - 毛織物業の業界に入る。
- 1927年(昭和2年) - 小牧町会議員に就任。
- 1930年(昭和5年) - 丸嘉商店を設立。
- 1933年(昭和8年) - 塚原毛織第一工場が完成。
- 1934年(昭和9年) - 塚原邸が落成。
- 1942年(昭和17年) - 愛知2区から第21回衆議院議員総選挙に出馬したが落選。
- 1944年(昭和19年) - 小牧町長に就任。
- 1944年(昭和19年) - 塚原毛織が軍需工場に指定される。
- 戦後 - 公職追放となり[1]、のち追放解除となる。
- 1959年(昭和34年) - 死去。
- 2005年(平成17年) - 塚原邸が愛知県の近代化遺産に選定される。
脚注
編集参考文献
編集- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『ふるさと小牧 保存版』郷土出版社、2015年