多功建昌

日本の戦国時代の武将

多功 建昌(たこう たてまさ、寛正3年(1462年) - 元亀3年(1572年))は、室町時代後期~戦国時代の武将。下野国大名宇都宮氏の家臣。多功城城主。多功氏は宇都宮氏の庶流である。石見守。子に多功長朝

 
多功建昌
時代 室町時代後期 - 戦国時代後期
生誕 寛正3年(1462年
死没 元亀3年(1572年
墓所 見性寺
官位 石見守
氏族 多功氏
父母 父:多功興房
多功長朝、女子(中村為長[1]
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天文20年(1551年)に米寿の祝賀を催したという。

また、寿命が現代でも稀な110歳であり、相当長生きな人物であったという。

脚注 編集

  1. ^ 野州中村神社縁起 P28(中村神社文書編纂委員會、中村神社顕彰會、ISBN-4815031096)