多胡 真清(たご さねきよ、天正9年〈1581年〉 - 寛永19年7月2日1642年7月28日〉)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武士石見津和野藩亀井家の家老。多胡真蔭の父。

生涯 編集

天正9年(1581年)生まれ。因幡鹿野藩亀井茲矩の養子となり、亀井主水、橘真房を名のる。のち多胡とあらため、津和野藩亀井政矩に仕える。寛永12年多胡勘解由らとの抗争(津和野騒動)に勝ち、藩政を確立。寛永19年(1642年)7月2日死去。享年62[1]

脚注 編集