多門 重信(おかど しげのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将松平氏徳川氏の家臣。

 
多門重信
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文9年(1540年
死没 文禄元年4月7日1592年5月18日
別名 平次郎
戒名 浄順
墓所 埼玉県川越市蓮馨寺
官位 縫殿助
主君 松平広忠徳川家康
氏族 嵯峨源氏渡辺氏
父母 父:多門重利
兄弟 内藤勝重室、重信重倍
重正信清成正正成、女子、信正羽太正盛
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生涯 編集

三河国岡崎城主・松平広忠、次いでその子の徳川家康に仕える。なお姉は家康の乳母を務めている。

元亀3年(1572年三方ヶ原の戦いの際は、諸将の人質を預かって徳川氏の本城である浜松城の留守居役を務める。なおこの時、弟・重倍が戦死している。元亀4年(1573年)、家康より津留め無用の印状と日の丸の船印を賜った。

天正年間には引退。文禄元年(1592年)、死去。

長男・重正小牧・長久手の戦いで戦死していたため、家督は次男・信清が継いだ。子孫はいずれも旗本となった。

出典 編集