大屋 裏住(おおやの うらすみ、1734年享保19年)- 1810年6月12日文化7年5月11日))は、江戸時代中期から後期にかけての狂歌師である。本姓は久須美、通称は白子屋孫左衛門。別号に窓雪院などがある。

経歴・人物編集

江戸に生まれ、初めは家業としてを営む。明和のころに日本橋金吹町に移り、貸家に転じた。後に狂歌について興味を持ち、寛延のころ卜柳の門人となり、「大奈権厚紀」という狂名をもらって狂歌を学んだ。

後に狂歌の道を退くが、太田南畝(四方赤良)と親交を持ったことにより、家業にちなんで「大屋裏住」という狂名をもらい、南畝や元木網らと共に狂歌の制作に携わった。天明のころには多くの狂歌師を輩出した「本町連」の主催者となり、野呂松人形の名手ともなった。晩年の1797年寛政9年)には剃髪して、「萩の屋」という号をもらうなど、一躍有名となった。

主な弟子編集

※いずれも、「本町連」の所属者である。

主な著作物編集

  • 『狂歌秋の野良』

出典編集