大槻 康勝(おおつき やすかつ、1976年5月7日 - )は、日本の男子元陸上競技選手。専門は短距離走川崎市立野川中学校法政大学第二高等学校法政大学卒業。現役時代は富士通所属。

大槻康勝 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム おおつき やすかつ
ラテン文字 Yasukatsu Otsuki
国籍 日本の旗 日本
競技 トラック競技短距離走
種目 100m
生年月日 (1976-05-07) 1976年5月7日(48歳)
身長 165cm
体重 58kg
引退 2001年
成績
地域大会決勝 アジア大会
100m 3位 (1998年
4x100mR 優勝 (1998年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 2位 (1998年)
自己ベスト
60m 6秒62 (1999年)
100m 10秒30 (1998年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア大会
1998 バンコク 4×100mリレー
1998 バンコク 100m
編集 テンプレートのヘルプを表示する

現役時代は日本一と称されたスタートダッシュを武器に、1997年の学生三大タイトル(関東インカレ100m、日本学生種目別選手権100m、日本インカレ100m)を総なめにし、1998年にはアジア大会の100mで銅メダル、4×100mリレーで1走を務めて金メダルを獲得するなど活躍した。

経歴

編集

父親がシニアリーグのコーチを務めていた関係で野球をやっていたが、中学1年生の時に学校のスポーツテストで50mを6秒4で走り、陸上部監督の目に留まり勧誘を受けた。そして初めて出場した川崎市の大会の100mで優勝し、以降は野球をやめて陸上だけに専念することになった。中学2年生と3年生の時に全日中を連覇した(当時の全日中は学年別に行われていた)。

中学王者として法政二高に進学するも、高校時代はインターハイの個人種目で入賞を果たせなかった。

大学は法政大学に進学。ここでも2年生までは結果を残せなかった。しかし、3年生になってからかつての輝きを取り戻し、その年の学生三大タイトル(関東インカレ1部100m、日本学生種目別選手権100m、日本インカレ100m)を全て制した。更に翌年には日本選手権100mで2位に入り1998年アジア大会日本代表に選出された。迎えた大会では100mで10秒31をマークして銅メダルを獲得(2位と同タイム)、4×100mリレーでは第1走を務めて金メダル獲得に貢献した。

大学卒業後は富士通に入社し、2001年に現役を引退した。引退後は講師を経て、2008年から神奈川県の教員になった。

現在は横浜市立中川西中学校の教諭を務める。

主要大会成績

編集

参考

編集
  • 107号1面 - ウェイバックマシン(2001年5月11日アーカイブ分) - スポーツ法政新聞
  • トップ選手に学ぶ一流の「トレーニングメソッド」、『月刊陸上競技』47巻10号、講談社、2013年9月号、214-218頁。

外部リンク

編集