大江時棟

平安時代中期の貴族。正五位下・河内守

大江 時棟(おおえ の ときむね、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族式部大輔大江匡衡の養子。官位正五位下河内守

経歴

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文章生を経て大学允に任官。一条朝中期の寛弘元年(1004年)権少外記に任ぜられると、寛弘2年(1005年)外記、寛弘4年(1007年)大外記と外記局で昇任し、寛弘5年(1008年巡爵により従五位下讃岐介に叙任され、地方官に転じた。

三条朝から後一条朝にかけて、寛弘9年(1012年安房守寛仁4年(1020年出羽守と、東国の地方官を歴任する。その後、大学頭を務め、長元4年(1031年正五位下に至る。後冷泉朝永承3年(1048年)ごろ河内守を務めた。

官歴

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注記のないものは『外記補任』による。

系譜

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「大江氏系図」(『続群書類従』巻第176所収)による。

  • 養父:大江匡衡
  • 生母不詳の子女
    • 男子:大江経成
    • 男子:大江安成
    • 男子:大江成家

脚注

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  1. ^ 『外記補任』寛弘5年条尻付
  2. ^ a b 『続本朝文粋』6,寛仁4年正月15日時棟奏状
  3. ^ 『左経記』
  4. ^ 『日本人名大辞典』
  5. ^ 『朝野群載』7

参考文献

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