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大津神社(おおつじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の末社。外宮の宮域内にあり、北御門脇の小道沿いにある度会国御神社のさらに奥へ進んだところに鎮座する[1]

大津神社
Ōtsu-jinja (Geku) 01.jpg
所在地 三重県伊勢市豊川町
位置 北緯34度29分19.7秒
東経136度42分5.8秒
座標: 北緯34度29分19.7秒 東経136度42分5.8秒
主祭神 葦原神
社格 豊受大神宮末社
創建 平安時代以前
本殿の様式 神明造
主な神事 神嘗祭
地図
大津神社の位置(三重県内)
大津神社
大津神社
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目次

概要編集

三重県伊勢市豊川町の伊勢神宮外宮境内に鎮座する。外宮の末社8社のうち第7位である[2]

祭神は葦原神(あしはらのかみ)[3]。もとは五十鈴川の河口にある港町神社(かみやしろ)や大湊守護神である[3]

社殿は、写真にあるように玉垣に囲まれている。賽銭箱は置かれていない。度会国御神社からおよそ50m奥に入ったところに鎮座する[3]。大津神社の更に先には、外宮所管社の上御井神社(かみのみいのじんじゃ)が鎮座するが、立ち入ることはできない[3]。摂社および末社は神宮式年遷宮の対象とならない[4]ため、20年に一度の建て替えは行われない。

歴史編集

創建は未詳。伊勢神宮外宮の末社は『延喜式神名帳』に記載されず当時は国家の祭祀を受けていなかったが、平安時代の初期には度会宮の所管として公認されていた神社である[4]ことから、平安時代以前には存在したと考えられる。

その後一時期、行方不明となり祭祀が断絶する[5]明治4年1871年)、度会県神祇省度会郡王中島村(現・伊勢市御薗町王中島)の足穂神社が外宮末社の大津神社であると届け出た[6]。この届出は住民に無断で行われたと見られ、神宮司庁が王中島村の惣代に足穂神社を大津神社に改称するよう交渉したところ争論となった[6]。以後、度会県・神宮司庁・村方の三者で折衝が続けられ、「村内にあるのは足穂社と足穂社境内社の大水社のみであり、大津社の名は古老も聞いたことがない」という村方の主張が認められた[7]。神宮司庁側に足穂社を大津社だと断定できるだけの証拠を有していなかったことも村方の意見が受容された要因の1つである[7]。神宮司庁は教部省に対応を諮り、1873年(明治6年)8月に外宮宮域内に新たに社殿を設けるよう通達した[8]。神宮司庁は同年中に現在地に社殿を建設、大津神社の祭祀を再興した[3]櫻井勝之進は大津神社再興に関して、以下のように私的見解を述べている[8]

管見によれば、明治三年の「外宮交名帳」(久志本本)には、

 大津社一名大水社社地 王中島村 村人造替
とあるから、足穂社でなく同域内の大水社をこそ末社と指定すべきであった。

— 櫻井勝之進『伊勢神宮の祖型と展開』276ページ

社殿は1923年(大正12年)3月に建て替えが行われた[2]

交通編集

公共交通
自家用車

脚注編集

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  1. ^ iTV"度会国御神社|伊勢神宮百科辞典|伊勢志摩の旅よいとこせ"(2012年1月7日閲覧。),iTV"大津神社|伊勢神宮百科辞典|伊勢志摩の旅よいとこせ"(2012年1月7日閲覧。)
  2. ^ a b 宇治山田市役所 編(1929):15ページ
  3. ^ a b c d e 伊勢文化舎(2008):37ページ
  4. ^ a b 櫻井(1991):88ページ
  5. ^ iTV"大津神社|伊勢神宮百科辞典|伊勢志摩の旅よいとこせ"(2012年1月7日閲覧。)
  6. ^ a b 櫻井(1991):275ページ
  7. ^ a b 櫻井(1991):275 - 276ページ
  8. ^ a b 櫻井(1991):276ページ
  9. ^ 伊勢文化舎(2008):33ページ
  10. ^ 神宮司庁"駐車場案内"(2011年1月8日閲覧。)

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集