大石余平

和歌山県新宮の長老教会の長老

大石 余平(おおいし よへい、1854年[1] - 1891年10月28日)は、和歌山県新宮の長老教会の長老である。大石誠之助の兄、西村伊作の父。

来歴

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紀伊国新宮船町の商人大石増平と妻かよの間に生まれ、儒学を幼少より修める。大石家はもとは代々医師や教師を多く出した家系だった[2]

ミッションスクールに通う妹が持ち帰った聖書からキリスト教に興味を持ち、1883年の夏カンバーランド長老教会J・B・ヘールと共に働いていた山本周作が新宮に来たときに、自宅に招いて話を聞いたことをきっかけにキリスト教へ入信。同年11月にヘールから洗礼を受ける。以降、ヘールの協力者として伝道活動を支援した。

1884年には友人の山内量平植村正久の妻季野の兄)に伝道して5月14日に、山内はヘールから洗礼を受けた。そして、仲之町の土地を提供し、6月10日に新宮初のキリスト教会堂を建設する。そして、大石は長老に、弟の酉久が執事に就任し、近隣の村を回って布教活動を始める。1887年には桑原町に教会堂を建設する。1888年には紀伊友愛会の結成に関わる。

その後、名古屋で鉱業の仕事をしながら伝道していた。1891年10月28日の朝、美普教会で連合祈祷会に出席中濃尾地震に被災し、夫婦で屋外に飛び出した所を、倒れてきた煉瓦製の煙突の下敷きになり妻とともに死去した。

家族

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弟に幸徳事件で処刑された大石誠之助。妻のふゆは奈良県下北山村の山林王・西村家の娘。子に文化学院創立者・西村伊作。孫に教育者石田アヤ。曾孫に建築家坂倉竹之助。玄孫にヒップホップMCSPHERE

脚注

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  1. ^ 葛井義憲「西村伊作の幼年時代を中心に」『名古屋学院大学論集 言語・文化篇』第21巻第2号、名古屋学院大学総合研究所、2010年3月、1-12頁、doi:10.15012/00000523ISSN 1344-364XCRID 1390290699726128768 
  2. ^ 『我に益あり』西村伊作、p20

関連項目

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参考文献

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  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 黒川創『きれいな風貌 西村伊作伝』新潮社、2011年