孝誠仁皇后
孝誠仁皇后(こうせいじんこうごう、満州語: ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
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ᡥᡡᠸᠠᠩᡥᡝᠣ 転写:hiyoošungga unenggi gosin hūwangheo、1654年2月3日 - 1674年6月6日)は、清の康熙帝の1番目の皇后。満洲正黄旗の出身。姓はヘセリ氏(ヘシェリ氏)(Hešeri hala、赫舎里氏)。
経歴編集
共に重臣であるソニンの孫娘、ソンゴトゥの姪にあたる。妹は康熙帝の平妃。
康熙4年(1665年)、皇后に立てられた。息子を1人産んだが、夭折した。康熙13年5月3日(1674年6月6日)、胤礽(皇太子、のち廃嫡)を産んで、同日亡くなった。 仁孝皇后の諡号を贈られた。その後、夫の諡を重ねて孝誠恭粛正恵安和淑懿恪敏儷天襄聖仁皇后と加諡された。
男子編集
- 承祜(1669年 - 1672年)− 夭逝した。位号はなかった。
- 胤礽(廃太子)
伝記資料編集
- 『清聖祖実録』
- 『清史稿』