宇文 盛(うぶん せい、? - 580年)は、北周の皇族。越野王。字は立久突。宇文泰の十二男。
武成元年(559年)に越国公になり、建徳3年(574年)には越王と昇進した。北斉平定後は上柱国・相州総管・大冢宰が加えられる。大象2年(580年)7月、尉遅迥の乱の最中、趙王宇文招が楊堅を暗殺しようとするが失敗。連座して諸子もろとも処刑された。