宇治 加賀掾(うじ かがのじょう、1635年寛永12年)- 1711年3月9日正徳元年1月21日))は、江戸時代前期から中期に活躍した浄瑠璃太夫である。本姓は徳田氏で、通称は太郎左衛門。号は竹翁。初名は初代宇治嘉太夫(後に賀太夫、加太夫と改名)。

経歴・人物編集

紀伊の宇治(現在の和歌山市)の生まれ。幼年期に製紙業を営んだ。17歳の頃に芸の道に入り、能楽等歌謡の演劇を学んだ。後に浄瑠璃に専念し、初代宇治嘉太夫と名乗る。

古浄瑠璃派の井上播磨掾が創始した「播磨節」を取り入れた人形浄瑠璃を創始する。これによって後の「加賀節」が創始するきっかけとなった。後に上洛し、1677年延宝5年)に四条河原宇治座の旗上げを成功した事がきっかけで加賀掾を受領され、通称を好澄と改名する。また、当時京都で活躍していた同じ浄瑠璃太夫の山本土佐掾(山本角太夫)と対抗した事で一躍名を馳せた。43歳の頃に活動の場を大坂に移り、筑後掾こと初代竹本義太夫と競演したが敗れた。しかし、義太夫が創始した曲節は後の多くの浄瑠璃太夫に大きく影響を与えた。

加賀掾が演じた浄瑠璃は、播磨掾の曲節に謡曲平曲幸若流行唄等を加えあえた語り口や近松門左衛門、親交が深かった井原西鶴の作品を多く演じ、庶民を轟かせた。これによって、浄瑠璃に新しい風流を取り入れた事に貢献し、大きく影響を与えた。

主な作品編集

代表的な演目編集

  • 『暦』
  • 『凱陣八島』

いずれの作品も井原西鶴作。

その他の演目編集

  • 『世継蘇我』- 近松門左衛門作。

段物集編集

  • 『竹子集』

出典編集

外部リンク編集