安全第一
ベルギーのテレビシリーズ。また、日本語における工事の安全を第一に考える意味の標語
安全第一(あんぜんだいいち)は、工場や建設現場などの職場において安全を何よりも重要に考えるという意味の標語(スローガン)である。
歴史
編集安全第一 (safety-first)は、アメリカ合衆国で誕生した標語(スローガン)である。
1900年代初頭、アメリカ国内では不景気のあおりを受け、労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していた。結果、多くの労働災害に見舞われていた。
当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、USスチールの社長であったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていた。熱心なキリスト教徒でもあった彼は人道的見地から、当時の「生産第一、品質第二、安全第三」という会社の経営方針を抜本的に変革し、「安全第一、品質第二、生産第三」としたのである[1][2]。
この方針が実行されると、労働災害はたちまち減少した。品質・生産も上向いた景気の波に乗り、この安全第一という標語はアメリカ全土に、やがて世界中に広まった。
日本において安全第一の標語は工事現場や工場などで掲示されており、目にすることができる。「安全」と「第一」の間に緑十字が配置されることが多く、旗や垂れ幕のほか、作業員のヘルメットや作業車両などに書かれる。
2011年以降相次いで事故や不祥事を発生させた北海道旅客鉄道(JR北海道)では、再発防止策の一環として2015年以降「安全第一、安定第二」という標語を使用している。これは、過去に安定輸送を重視するあまり安全面をおろそかにしたことを鑑み、危険を感じた場合は安全確保のために躊躇なく列車を止めるという姿勢を示したものである[3]。
脚注
編集- ^ https://news.google.com/newspapers?nid=1893&dat=19270815&id=U_UoAAAAIBAJ&sjid=ItQEAAAAIBAJ&pg=6136,414564 THE SOUTHEAST MISSOURIAN紙(1927年8月15日第5面)に掲載されたElbert Henry Gary氏の訃報には、次のように記されている。Mr. Gary was known as the father of the industrial safety movement and the first large industrial companies to inaugurate "safety-first" campaigns among its employees.
- ^ 竹内秀朗 (2001), 現場管理で利益をあげる印刷工場, 日本印刷新聞社, p. 170, ISBN 9784888841177
- ^ “安全報告書2020” (PDF). 北海道旅客鉄道. 2022年3月7日閲覧。
参考文献
編集- 田辺肇 『危険予知活動実践マニュアル』 1984年、中央労働災害防止協会
- ひろく流布している安全第一の創成物語が作り話であることは、上野継義の論文にくわしい。さしあたり、「安全第一の起源:セイフティ・マンの働きを軸に、1905-1910年」アメリカ経済史学会編『アメリカ経済史研究』第19号(2020年12月): 1-30. http://www.aehaj.org/journal19/03_ueno2020.pdf
関連項目
編集外部リンク
編集- 胸にかがやく「安全第一」の記章 1927年10月2日付大阪毎日新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)