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安房国義倉帳(あわのくにぎそうちょう)は東大寺正倉院に残存する古文書である。

概要編集

文書は末尾11行だけの断簡で、「義倉」とは窮民を救済するための備荒貯蓄で、富戸から田祖のほかに若干のを徴収して蓄えるのこと。

安房国義倉帳は、730年(天平2年)のもので、ほかに同年の越前国義倉帳の断簡も残存している。下川逸雄の「義倉について」[1]の研究によれば、この断簡は長狭郡に関する文書だとされる。「倭名類衆抄」などの安房国の郡名記載順序の末尾は長狭郡が位置し、郷の数でも安房国ののうち、平群郡の10郷、安房郡の7郷、朝夷郡の5郷、長狭郡8郷で、1郷あたり50戸なので、これを考慮すると長狭郡の約400戸がほぼ一致する。文書いよれば総戸数415戸のうち、義倉の粟を収める戸は、わずか88戸で、備荒貯蓄の余力もない等外戸が327戸を占めていたことは注目に値する。天平2年の越前国の場合も丹生郡の総戸数1019戸のうち等外戸は920戸(90%)を占めていたとの記述がある。

脚注編集

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  1. ^ 下川逸雄「歴史地理83巻3号」1952年

関連項目編集