宋文華
宋 文華(そう ぶんか、ソン・ムンファ、朝鮮語: 송문화、1886年(高宗23年 / 明治19年)12月18日 - 没年不明[1])は、明治から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名は山木文華[2]。位階は正五位、勲位は勲五等[2]。黄海道知事、忠清南道知事などを歴任した宋文憲は弟。
宋文華 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 송문화 |
漢字: | 宋文華 |
発音: | ソン・ムンファ |
経歴
編集1886年に漢城府で生まれた。1910年に官立漢城師範学校を卒業[3]。河東公立普通学校、星州立普通学校などで判任官四等である副訓導として勤務した[3]。1920年(大正9年)に京畿道学務課書記を経て[3]、1924年(大正13年)に江華郡守に転じ、地方官僚となる[3]。広州郡守、楊州郡守、水原郡守を経て[3]、1937年(昭和12年)に開城府尹に任ぜらられ[1]、国民精神総動員朝鮮連盟開城支部理事長、朝鮮防共協会開城支部評議員などを歴任し[1]、日中戦争の各種軍需物資の供出に協力した[1]。1940年(昭和15年)に創氏改名。1941年(昭和16年)に平安北道参与官兼産業部長に転じた。1942年(昭和17年)に朝鮮総督府中枢院参議に任ぜられ[2]、臨時志願兵制翼賛委員会委員などを兼任し[1]、1945年(昭和20年)の8・15光復まで在任した[1]。
出典
編集参考文献
編集- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1942年 。