宝洞山1号墳(ほうどうやまいちごうふん)または天生津古墳(あもうづこふん)は、愛媛県四国中央市川之江町にある古墳。形状は円墳。宝洞山古墳群を構成する古墳の1つ。四国中央市指定史跡に指定されている。

宝洞山1号墳

墳丘・石室開口部
別名 天生津古墳/天生津1号墳
所属 宝洞山古墳群
所在地 愛媛県四国中央市川之江町3102-1
位置 北緯34度0分33.82秒 東経133度35分3.22秒 / 北緯34.0093944度 東経133.5842278度 / 34.0093944; 133.5842278座標: 北緯34度0分33.82秒 東経133度35分3.22秒 / 北緯34.0093944度 東経133.5842278度 / 34.0093944; 133.5842278
形状 円墳
規模 直径20m
高さ5m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀
史跡 四国中央市指定史跡「宝洞山一号墳」
地図
宝洞山 1号墳の位置(愛媛県内)
宝洞山 1号墳
宝洞山
1号墳
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概要 編集

愛媛県東部、宇摩平野北東縁に位置する宝洞山の裾部に築造された古墳である。一帯では2号墳(ほぼ埋没)・3号墳(ほぼ消滅)が分布し、3基で宝洞山古墳群を構成する。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、直径20メートル・高さ5メートルを測る[1]。墳丘の北側には周溝を巡らすことで丘陵斜面をカットする[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。巨石が使用された石室であり、宇摩向山古墳(四国中央市金生町下分)・朝日山古墳(四国中央市金田町金川)との類似が指摘される[3][2]。副葬品は詳らかでない[2]。築造時期は古墳時代終末期7世紀代と推定される。

古墳域は1976年昭和51年)に四国中央市指定史跡に指定されている[2]

埋葬施設 編集

 
石室 玄室

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されている。石室の規模は次の通り[1]

  • 玄室:長さ4.1メートル、幅1.8メートル、高さ1.9メートル
  • 羨道:長さ4.4メートル、幅1.3メートル、高さ1.5メートル

石室の形態は宇摩向山古墳(四国中央市金生町下分)と似る[2]。また朝日山古墳(四国中央市金田町金川)に似た玄門柱石を伴う[3]

文化財 編集

四国中央市指定文化財 編集

  • 史跡
    • 宝洞山一号墳 - 1976年(昭和51年)8月28日指定[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 史跡説明板。
  2. ^ a b c d e f 宝洞山一号墳(四国中央市教育委員会文化振興課「四国中央市の文化財」)。
  3. ^ a b 天生津古墳(平凡社) 1980.

参考文献 編集

  • 史跡説明板(川之江市教育委員会設置)
  • 「天生津古墳」『日本歴史地名大系 39 愛媛県の地名』平凡社、1980年。ISBN 4582490395 

関連項目 編集

外部リンク 編集

  • 宝洞山一号墳 - 四国中央市教育委員会文化振興課「四国中央市の文化財」