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宝蓮院(ほうれんいん、享保6年(1721年) - 天明6年1月12日1786年2月10日))は、田安徳川家初代当主・徳川宗武の正室で、近衛家久の娘である。名は初め知姫、その後森姫通姫通子)と改めた。院号は宝蓮院、あるいは法蓮院

享保18年(1733年)に江戸城二の丸に入り、享保20年(1735年)に宗武と婚姻。その後、宗武との間に、誠姫(伊達重村婚約者だが婚姻前に死去)・裕姫(夭折)・小次郎(夭折)・銕之助(英菊)(夭折) ・仲姫(池田重寛正室)・徳川治察(田安徳川家2代)・節姫(毛利治親正室)の7人の子女を儲けた。

明和8年(1771年)、宗武の死後に落飾して宝蓮院(法蓮院)と号した。天明6年(1786年)1月12日に66歳で死去し、寛永寺凌雲院に葬られた。