メインメニューを開く

密厳院(みつごんいん)は、和歌山県高野町金剛峯寺塔頭寺院の一つ。新義真言宗の教学の祖である興教大師覚鑁の自所だった寺院。

高野山密厳院
Karukayadou0ɨ.jpg
刈萱堂
所在地 和歌山県伊都郡高野町高野山479
山号 高野山
宗旨 真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 大日如来
創建年 1132年(長承元年)
開山 覚鑁
別称 興教大師御住坊
札所等 東海近畿地蔵霊場第34番
法人番号 4170005004950
テンプレートを表示

覚鑁が、腐敗した金剛峯寺の内紛に憂いを持ち、密厳院において3余年に及ぶ無言行を敢行した直後に書き上げたと言われる「密厳院発露懺悔文」は有名である。

高野山一の橋から奥の院に向かう途中に位置し、保延6年(1140年)の金剛峯寺の内紛により焼き討ちにあい(錐もみの乱)、住職の覚鑁はやむなく山を降り、新義真言宗根来寺を開創した。現在の寺院はその後再建されたものである。また、本堂には覚鑁の像が祀られているが、これは高野山では唯一である。

境内に刈萱堂東海近畿地蔵霊場第34番札所)がある。[1]

覚鑁が密厳院にて本尊とした不動明王は、運慶作である平常眼の不動明王であった。同尊像は、寿永3年、北条時政の持仏として二体きざまれた。現在、二体のうちの一体は伊豆の願成就院に、もう一体は東京都立川市の燈檠山真澄寺(新宗教真如苑)の奥の院に安置されている。[要検証]

脚注編集

  1. ^ 『高野山 宿坊の旅』エイムック、2013による。

関連項目編集