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高野山

日本の和歌山県にある山々の総称、または伊都郡高野町の中心部の地名
壇上伽藍
壇上伽藍 不動堂(国宝)

高野山(こうやさん)とは、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を、1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。

平安時代弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。

現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている[1]

2004年(平成16年)7月7日高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野吉野大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコ世界遺産に登録された[2]。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。

地理編集

高野山
雨温図説明
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気温(°C
総降水量(mm)
出典:日本国気象庁1981-2010年平年値

地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である)。8つの峰々に囲まれているその地形は「の花が開いたような」と形容されており、仏教の聖地としては両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅の「中台八葉院」に擬せられている[3]。転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山という。なお、高野山という名称の単独の峰はない。

気候編集

金剛峯寺境内にあるアメダスの観測値で年平均降水量1851.6mm。年平均気温は10.9℃と大阪管区気象台より6℃低い。一般的に温暖な地域が多い和歌山県としては異例で、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になる。極値は最高33.7℃(2014年7月26日)、最低-13.4℃(1981年2月28日)[4]

主な施設・寺院編集

山内は全て「一山(いっさん)境内地」として金剛峯寺の境内となっている[5]。このうち、大門地区、伽藍地区、本山地区、奥院地区、徳川家霊台地区、金剛三昧院地区の6地区が国の史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっている[6]。多数の寺院建築が立ち並ぶが、ここでは主要な一部を紹介する[7]。詳細は金剛峯寺参照のこと。

壇上伽藍
 
壇上伽藍 金堂
一般寺院でいう本堂の区画。国の史跡・世界遺産空海(弘法大師)が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂高野山全体総本堂高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並び、不動堂は国宝に指定されている。また、弘法大師伝説のひとつである飛行三鈷杵がかかっていたとされる「三鈷の松」や、高野四郎(俗称)と呼ばれる大鐘楼も伽藍に存する。金堂と大塔への入堂は有料境内のみは無料
奥の院
 
御廟橋(奥の院・弘法大師廟 聖域への入口
国の史跡・世界遺産。御廟橋の先に灯籠堂、その裏に空海御廟がある。参道には、皇室公家大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院入り口は2箇所あり、正式には一の橋からであるが、中の橋の前には無料大駐車場とバス停があるので参拝者のほとんどがこちらからである。一の橋から御廟までは約2km、中の橋からはその約半分の道のりとなっている。その途上には「弥勒石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。
総本山金剛峯寺
 
金剛峯寺 大主殿(県指定有形文化財)
国の史跡・世界遺産。主殿等の建物は和歌山県指定有形文化財。高野山真言宗の総本山で座主の住寺。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に青巌寺興山寺 (廃寺)の2つの寺院が合併したもの。旧青巖寺(剃髪寺)は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭。境内の建物外及び納経所までは無料。それより先の建物内は有料。
大門(だいもん)
 
大門(重要文化財)
高野山全体の総門。1705年再建。国の重要文化財・世界遺産。
徳川家霊台
国の史跡および重要文化財・世界遺産。寛永20年(1643年)、徳川家光の建立。家康秀忠の霊廟がある。境内有料。
大師教会(だいしきょうかい)
 
大師教会
大正時代に建てられた講堂高野山真言宗布教宗教舞踊等の総本部で、授戒指導・座禅指導・講演会・無外流夏季合宿時の稽古道場などに使われている。受戒は誰でも予約なしで随時受けられる(有料)。
高野山霊宝館
高野山上にある国宝、重要文化財等の保存・展示が行われており、定期的にテーマを絞った展示会が開催される。なお、現在の日本の国宝の2%は高野山上にある(1083件中、23件)。大正10年(1921年)、開設。入館有料。
女人堂
不動坂口にあり、女人禁制の時代は女性はここまでしか入れなかったとされている。古くは高野山の街道の七つの入口にそれぞれあったが、今は1つしか残っていない。大日如来、弁財天、神変大菩薩を祀る。
金輪公園
一心院谷にあり、今は公園になっていて、国宝不動堂が元はここにあった。明算検校が12世紀に創建し、1834年に再建された金輪塔がある。山側の影向明神には、丹生・高野明神を祀った二つの社が並ぶ、また、鬼子母神を祀る祠もある。
お助け地蔵尊
大門前の三差路から100m南、一つだけ願いを叶えてくれる。
清高稲荷神社
刈萱堂の近くのメイン通りから千本鳥居が並び正一位清高稲荷大明神を祀る。朱印あり。
子院群
金剛峯寺の修行僧が居住のために作った草庵を起こりとする寺院群。近畿三十六不動尊霊場である明王院南院新西国三十三箇所観音霊場である宝亀院西国愛染十七霊場である増福院福智院金剛三昧院など117か寺を数え(総本山金剛峯寺大本山宝寿院はこれに含まれない)、その約半数が宿坊を兼ねている[8]。以下の子院は宿坊を備えていて、金剛三昧院は有料だが境内を散策でき、他の子院は誰でも無料で自由に参拝できる堂がある。これ以外の宿坊のある子院にも、宿泊することにより本堂に入堂したり、庭園を臨んだり、護摩祈祷、阿字観や写経体験をできるところがある。
 
金剛三昧院 多宝塔(国宝)
境内地は国の史跡・世界遺産。建暦元年(1211年)、北条政子の発願による建立。源頼朝実朝の菩提を弔うための国宝・多宝塔のほか、重要文化財の客殿や経蔵などがある。西国愛染十七霊場17番。境内有料。
  • 苅萱堂(かるかやどう)
密厳院が管理している地蔵堂(東海近畿地蔵霊場)。金剛峯寺と奥の院のほぼ中間にある。苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる。
  • 摩尼宝塔(まにほうとう)
成福院が管理している釈迦堂。刈萱堂の前にある。ビルマ戦没者供養のため、ミャンマーから贈られた釈迦如来像を本尊として開創された。地下に戒壇巡りがある。
  • 以下は無料で自由に参拝できる子院の堂宇

歴史編集

  • 816年  弘仁7年 7月8日 弘法大師空海、高野山下賜を上奏し、この年勅許が下る。
  • 892年  寛平4年 5月19日 慈尊院「弥勒仏坐像」(国宝)が造立される。後補裳先墨書銘:「寛平四年歳次壬子五月十九日造仏事己了」。
  • 994年  正暦5年 7月6日 高野山大火。大塔に落雷、伽藍御影堂を残して全焼し、寺院にも類焼。
  • 1086年 応徳3年 4月7日 金剛峯寺「仏涅槃図」(国宝)が描かれる。墨書銘:「応徳三年丙寅四月七日甲午奉写畢」。
  • 1117年 永久5年~天治3年 4月15日 金剛峯寺「金銀字一切経」(国宝)が奥州藤原清衡の発願により書写される。
  • 1145年 久安1年 10月23日 金剛峯寺「善女龍王像」(国宝)が定智によって描かれ、開眼供養される。
  • 1149年 久安5年 5月12日 高野山大火。大塔に落雷、伽藍全焼。多くの仏像、仏画類が焼失。
  • 1156年 保元1年 4月29日 金剛峯寺「両界曼荼羅図(血曼荼羅)」(重文)が絵師常明法印によって描かれる。平清盛の頭血を採り絵の具に和して描かせた。
  • 1223年 貞応2年 金剛三昧院「多宝塔」(国宝)を建立。北条政子源頼朝源実朝の菩提のために、安達景盛に命じて建立。
  • 1401年 応永8年 正月19日 伽藍西塔炎上、新御塔、文殊楼、本経蔵、正智院一切経蔵に類焼。多くの聖教類が悉く焼失。
  • 1464年 寛正5年 7月3日 高野山大火。高野山衆徒、堂衆と西院、谷上、南谷で合戦し、谷中で11ヶ寺を残して悉く焼失。
  • 1486年 文明18年 4月8日 金剛峯寺「諸尊仏龕」(国宝)付属「銅製厨子」が製作される。
  • 1521年 永正18年(大永1年) 2月12日 高野山大火。寺院より出火、大塔、金堂以下伽藍300余宇・塔婆19基、僧坊など3900余宇を焼失し、全山壊滅状態となる。
  • 1594年 文禄3年 豊臣秀吉が高野山を参詣し、生母大政所の三回忌追善法要を行う。そのおり、連歌や能の会を催す。
  • 1599年 慶長4年 3月21日 奥の院「経蔵」(重文)を石田三成が母の菩提の為に建立し、金剛峯寺「高麗版一切経」(重文)を同経蔵に奉納。
  • 1599年 慶長4年6月 正智院「高麗陣敵味方戦死者供養碑」(県指定)が薩摩藩島津義弘島津忠恒親子に依って建立される。朝鮮役における敵味方の戦死者を供養。
  • 1599年 慶長4年10月15日 清浄心院「佐竹義重霊屋」(重文)が佐竹為義重逆修の霊屋として造立される。
  • 1604年  慶長9年・12年 蓮花院松平秀康及び同母霊屋(付属宝篋印塔七)」(重文)が造立される。秀康の亡母(家康の側室)を祀るため、慶長九年に造立。また、慶長十二年四月八日には松平忠直によって、松平秀康(家康の子)の霊屋として、その隣に造立される。
  • 1622年 元和 8年 天徳院「天徳院庭園」(重文)が小堀遠州によって造園される。
  • 1630年 寛永7年 10月7日 高野山大火。大塔に落雷。暫くして塔腰部より猛火が起こり炎上焼失。伽藍諸堂をはじめ多くの寺院が類焼。
  • 1690年 元禄3年 落雷により大門炎上。
  • 1691年 元禄4年 千手院萬精院より出火、安養院まで延焼し89ヶ寺が全焼。
  • 1792年 寛政4年 2月16日 夜八ツ時、奥之院護摩堂より出火、焼失する。
  • 1809年 文化6年 南谷から出火し、中門、勧学院一帯が類焼す。
  • 1843年 天保14年 9月1日 高野山大火。壇上宝蔵の軒先から出火し、大塔をはじめ諸堂14棟が悉く焼失。
  • 1863年 文久3年 現在の金剛峯寺「青厳寺本殿」(県指定)が再建される。万延元年(1860年)に焼失したことによる再建。
  • 1869年 明治2年 3月29日 青厳寺・興山寺を合併して金剛峯寺と号する。 11月3日 高野山に神仏分離の通達が下る。
  • 1870年 明治3年 西院如意輪寺をはじめ、南谷南院が焼失。
  • 1872年 明治5年 興山寺全焼。
  • 1879年 明治12年 千手院寂静院、普賢院、金剛頂院などが焼失。
  • 1882年 明治15年 自性院他2ヶ寺、谷上蓮金院等が全焼。
  • 1884年 明治17年 高野山とその周辺の13ヶ字が合併して高野村となる。この年、谷上の蓮金院焼失。2月 西院と恵光院から出火。50ヶ寺、130戸に類焼する大火になった。
  • 1888年 明治21年 3月23日 午前12時30分頃、一心院谷の南院裏山より出火、同院へ火移り、直ちに高祖院、東室院へと移り、続いて正塔院、六町院、幸福院、康徳院、福智院、蓮花院、宝積院、正覚院、金剛院、興山寺、◆覚院、定光院、西生院、無量光院、本王院、普門院、一乗院、光輪院、如意輪寺、金蔵院、愛染院、安楽院、安養院、巴陵院、三室院、普賢院、報恩院、明泉院、乗蔵院、圓満院、弥勒院、常住院、医王院、覚證院へと類焼。さらに五ノ室、千手院、小田原地区の上之段(現、高野山大学)の町家へも類焼し、午後5時頃鎮火。その時、金剛峯寺の屋根へも飛火して、一時は類焼するかと思われたが、かろうじて消し止めることができた。この火災によって、大寺21ヶ寺、中小寺院30ヶ寺、民家70余戸が焼失した。3月24日午前12時30分頃、蓮花谷の恵光院前、増福院より出火。直ちに大明王院、光明院、尭住院、常慶院、千蔵院、五大院、誠願院、持宝院、丹生院、岩本院、東根院、萬福院、蓮花三昧院へと類焼し悉く焼失。この時、蓮花谷民家も残らず焼失。東谷の奥之坊を除いて悉く皆焼亡し、午後5時頃漸く鎮火。両日の火災で、堂宇、仏像画像書跡什宝悉く焼失。この火災によって国宝・五大力菩薩像五幅のうち二幅を焼失。什宝物焼失御届(有志八幡講)によると、勅額(後陽成帝宸筆「八幡大菩薩」、熊手八幡宮縁起、三社神号などが大明王院に預けられていたところ同寺類焼した際に焼失。両日の火災等にて明治初期に680余ヶ寺あった寺院は明治28年になると130ヶ寺まで減少し、廃絶した堂社は40軒を数え、現存するのは30軒に満たないほどとなった。
  • 1908年 明治41年 1月10日 国宝(旧)に66点が指定される。 国宝・絵画阿弥陀三尊像一幅蓮華三昧院、重文・絵画紅頗梨色阿弥陀如来像一幅桜池院、重文・絵画九品曼荼羅図(当麻曼荼羅図)一幅清浄心院、重文・絵画高野大師行状図画(第一巻補写)六巻地蔵院、重文・絵画五大虚空蔵菩薩像一幅西南院、国宝・絵画五大力吼菩薩像(金剛吼・竜王吼・無畏十力吼)三幅有志八幡講、重文・絵画五大力菩薩像一幅北室院、重文・絵画地蔵菩薩像一幅宝寿院、国宝・絵画善女龍王像一幅金剛峯寺、重文・絵画大元帥明王像一幅西南院、重文・絵画大日如来像一幅金剛峯寺、重文・絵画当麻曼荼羅縁起一幅清浄心院、国宝・絵画伝船中湧現観音菩薩像一幅竜光院、重文・絵画丹生・狩場明神像二幅金剛峯寺、重文・絵画八宗論大日如来像一幅善集院、重文・絵画毘沙門天像一幅光台院、国宝・絵画仏涅槃図一幅金剛峯寺、重文・絵画不動明王三童子像一幅五坊寂静院、重文・絵画両界曼荼羅図(血曼荼羅)二幅金剛峯寺、重文・工芸花文刺繍打敷一枚全光院、重文・工芸金銅仏具(五鈷杵一・五鈷鈴二・三鈷杵三・独鈷杵二・独鈷鈴一)金剛峯寺、重文・工芸三鈷杵(伝・覚鑁所持)一箇宝寿院、重文・工芸成身会八葉蒔絵厨子一基金剛峯寺、重文・工芸厨子入倶利伽羅龍剣一口竜光院、重文・工芸厨子入金銅水神像一躯金剛峯寺、重文・工芸蓮華形柄香炉一柄竜光院、国宝・書跡細字金光明最勝王経二巻竜光院、国宝・書跡紫紙金字金光明最勝王経十巻竜光院、重文・書跡大毘盧遮那経巻第一一巻竜光院、国宝・書跡文舘詩林残巻一巻宝寿院、重文・彫刻愛染明王坐像一躯金蔵院、重文・彫刻阿シュク如来立像一躯親王院、重文・彫刻阿弥陀如来坐像一躯金剛峯寺、重文・彫刻阿弥陀如来坐像一躯地蔵院、重文・彫刻阿弥陀如来及両脇侍立像三躯五坊寂静院、重文・彫刻阿弥陀如来及両脇侍立像三躯不動院、重文・彫刻板彫胎蔵曼荼羅(金剛界蒔絵箱入り)二面金剛峯寺、重文・彫刻浮彫九尊像一面金剛峯寺、重文・彫刻孔雀明王像一躯金剛峯寺、重文・彫刻釈迦如来及諸尊像(枕本尊)一基普門院、重文・彫刻十一面観音立像一躯金剛三昧院、国宝・彫刻諸尊仏龕一基金剛峯寺、重文・彫刻大日如来坐像一躯釈迦文院、重文・彫刻大日如来像・阿弥陀如来坐像・釈迦如来坐像(谷上大日堂旧佛)三躯金剛峯寺、重文・彫刻大日如来坐像一躯安養院、重文彫刻大日如来像(元、勧学院安置)一躯金剛峯寺、重文・彫刻多聞天立像・持国天立像二躯遍照光院、重文・彫刻天弓愛染明王像一躯金剛峯寺、重文・彫刻兜跋毘沙門天像一躯親王院、重文・彫刻兜跋毘沙門天立像一躯竜光院、重文・彫刻如意輪観音菩薩坐像一躯如意輪寺、重文・彫刻毘沙門天立像一躯多聞院、重文・彫刻毘沙門天立像一躯普賢院、重文・彫刻屏風本尊六面竜光院、重文・彫刻不動明王坐像(元、護摩堂安置)一躯金剛峯寺、重文・彫刻不動明王坐像(元、伽藍不動堂安置)一躯金剛峯寺、重文・彫刻不動明王立像一躯金剛三昧院、重文・彫刻不動明王立像(波切不動)一躯南院、重文・彫刻不動明王立像(帆揚げ不動)一躯蓮上院、重文・彫刻文殊菩薩及使者像一基遍明院、重文・彫刻薬師如来坐像一躯高室院、重文・彫刻薬師如来坐像一躯五大院、重文・彫刻薬師如来坐像一躯龍泉院、重文・彫刻龍猛菩薩立像一躯泰雲院。 4月20日 国宝・書跡宝簡集・続宝簡集・又続宝簡集298巻15冊が(旧)国宝に指定される。
  • 1909年 明治42年 2月6日付 国宝・書跡文舘詩林十二巻正智院が(旧)国宝に指定される。 8月9日夜 高野山町家から出火。金剛峯寺前の徳善院、小学校を含め、民家十三戸が焼失。この時、金剛峯寺前の立木が防火林となり類焼を免れると。これ以降、金剛峯寺前を空き地とした。
  • 1910年 明治43年 持明院全焼。
  • 1911年 明治44年 龍泉院、泰雲院、徳善院全焼。
  • 1915年 大正4年 3月1日 高野登山鉄道が大阪の汐見橋から橋本まで開通する。
  • 1919年 大正8年 4月15日高野登山自動車株式会社により、高野口駅より椎出までの間を乗合自動車の運行が始まる
  • 1923年 大正12年 3月26日 夜八時頃、金剛峯寺木屋炎上す。 4月2日 正智院全焼。多くの宝物が焼失した。脇士文殊普賢木像二躯、舎利弗阿難木像二躯、四社明神木像一躯、不動明王木像一躯、阿弥陀如来木像一躯、脇侍観音勢至木像二躯、弁財天木像一躯、大黒天木像一躯、三宝荒神木像一躯、達磨図一幅、釈迦十六羅漢像(牧渓筆)三幅、八祖大師像一幅、両界曼荼羅図二幅、五字文殊像一幅、唐金四面器、八面器、仏具、真鍮仏具、護摩器、灯籠等仏具類多数、大般若経六百巻、弘法大師弟子譜、紀伊名所図絵七巻の39点焼失4月16日 午前10時頃、宝善院焼失。放火事件によるものと記録されている。檜皮がトタン葺きに改められるのをねらった、ブリキ職の犯行という。
  • 1925年 大正14年 7月30日 大阪高野鉄道橋本から椎出まで延長。 九度山から紀伊神谷にかけて、高野登山自動車会社が登山バスの運行を開始。
  • 1926年 昭和元年 12月26日 午前6時30分、伽藍金堂が炎上。堂内本尊秘仏をはじめ旧国宝(重要文化財)の金剛薩タ坐像、不動明王坐像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像、降三世明王立像、金剛王菩薩坐像の諸尊が焼失。六角経蔵、孔雀堂、納経所類焼し午後二時鎮火。両明神御神体、快慶作孔雀明王像、金字一切経(荒川経)24箱は難を逃れ、霊宝館に移安。
  • 1928年 昭和3年 4月4日 国宝・絵画山水人物図襖十面遍照光院、重文・絵画商山四皓及虎渓三笑図六曲一双遍照光院、重文・絵画梅花雉子図(襖貼付、客殿大広間)十四面金剛三昧院、重文・絵画両界曼荼羅図二幅竜光院、重文・工芸孔雀文磬一面蓮花院、重文・工芸銅五鈷鈴(道範)一口正智院、重文・書跡聖観音造立願文一巻金剛峯寺、重文・彫刻板彫両界曼荼羅(厨子入り)二面金剛峯寺などが指定される。 6月18日高野鉄道、高野下~神谷(紀伊神谷)間を70ヶ所以上の急カーブと23ヶ所のトンネルを掘って開通。
  • 1929年 昭和4年 高野鉄道、神谷(紀伊神谷)~極楽橋間開通
  • 1930年 昭和5年 6月29日 高野鉄道、極楽橋より山上までケーブルカーが開通する。
  • 1932年 昭和7年 4月28日 電車が大阪より高野山まで直通となる。 5月23日 一乗院全焼。四時半火災。一乗院全焼漸く門を残すのみとなる。
  • 1938年 昭和13年 6月23日 午後11時30分、正智院より出火。庫裡全焼。本堂及び会下半焼して零時30分鎮火。7月4日 降雨の為、明王院裏山崩壊、本堂及び位牌堂大破。
  • 1940年 昭和15年 5月23日 午後3時、五坊寂静院出火。全焼。
  • 1941年 昭和16年 7月3日付 重文・普賢院蔵、五大力菩薩像(金剛吼・竜王吼・無畏十力吼・雷電吼・無量力吼)五幅が旧国宝に指定される。
  • 1949年 昭和24年 2月18日 国宝・書跡金銀字一切経(中尊寺経)四二九六(四三一二)巻金剛峯寺が(旧)国宝に指定される。
  • 1950年 昭和25年 8月29日 旧国宝指定品の大半が重要文化財として指定変更された。

主な名物、みやげ編集

 
こうやくん
  • こうやくんのキャラクターグッズ
「高野山開創1200年記念大法会イメージキャラクター こうやくん」は、ストラップやバッジなどいろいろなグッズが売られている。

交通アクセス・ガイド編集

 
高野山内の通り(撮影当時は国道371号
 
高野山内の通り(撮影当時は国道480号
 
奥之院英霊殿前の売店

唱歌における高野山編集

明治33年(1900年)に大和田建樹が作詞発表した「鉄道唱歌第五集 関西・参宮・南海篇」では、高野山は3番を割いて歌われている。吉野山などと共に、建樹の歴史好みが強く影響しているものと見られている。なお、当時は現在の南海高野線が開業しておらず、高野山へは橋本駅から約12kmの山道を歩いて向かう必要があった。

43.瞬くひまに橋本と 叫ぶ駅夫に道とへば 紀の川わたり九度山を すぎて三里ぞ高野まで
44.弘法大師この山を ひらきしよりは千余年 蜩(ひぐらし)ひびく骨堂の あたりは夏も風さむし
45.木陰をぐらし不動坂 夕露しげき女人堂 みれば心もおのづから 塵の浮世を離れたり

自然編集

生物の研究もよく行われている。[要出典]

高野山は和歌山県の北部山中である異常に寒冷な気候を持ち[要出典]、周辺では見られない生物もいくつか知られる。基本的には照葉樹林上部から落葉樹林帯にわたる生物相であるが、ツノハシバミ、マンサクなどはさらに北部に見られるもので、和歌山県では他に知られていない。

高野山の名を持つ生物もいくつかあり、以下のような例はその代表である。

これらは高野山で利用されることに基づく。
これらはこの地域に特産であることから。あるいはここで発見されたことから。

高野六木編集

高野山では古くからヒノキスギモミツガアカマツコウヤマキの六種の樹木を「高野六木(こうやりくぼく)」と呼んで重視した。伐採を行った跡地にはこの六種を植えたという。これは森林を人為的に利用しつつ、その森林の自然林的様子や多様性を維持する効果があったとも考えられている。

高野七口編集

高野山への入口は七つあるとされ、入口およびそこに通じる道を総称して高野七口と呼んだ。

☆は世界文化遺産に登録。

高野七口に建てられた女人堂を巡る道を女人道☆と呼んだ。

高野にちなむ名称編集

  • 女人高野
高野山は明治初年まで女人禁制であったため、対して女性も参詣ができた寺院は「女人高野(にょにんこうや)」と呼ばれている。その別名があるのは、慈尊院室生寺金剛寺などである。
  • 〇〇高野
「西の高野山」の異名で知られている大宝寺 (五島市)、「「西の高野」と云われる太龍寺、「四国高野」と云われる雲辺寺、「九州高野山」と云われる滝光徳寺、「関東高野山」と云われる浄因寺などがある。

周辺の関連寺社編集

備考編集

脚注編集

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  1. ^ 松長有慶『高野山』、p.20より一部転載
  2. ^ (和歌山県、2005)、p.3および口絵ii
  3. ^ 松長有慶『高野山』、p.5
  4. ^ 日本国気象庁 - 高野山観測所(北緯34度13.3分、東経135度35.4分、標高795m)1981年-2010年平年値。極値は1979年1月-2016年11月。
  5. ^ 金剛峯寺webページ「一山(いっさん)境内地ということ」https://www.koyasan.or.jp/kongobuji/about/isan_keidai.html
  6. ^ (和歌山県、2005)、p.3および口絵ii
  7. ^ 主要施設の選定は淡交社編集局編『愛蔵版 御朱印巡礼』淡交社、2012の高野山の項によった。
  8. ^ 松長有慶『高野山』、p.20
  9. ^ 【新規路線】関西空港‐高野山線の運行を開始いたします (4/1-)
  10. ^ “高野山に瓦屋根コンビニ 初の24時間営業で年中無休 和歌山”. msn産経ニュース. (2013年7月10日). http://sankei.jp.msn.com/region/news/130710/wky13071002080002-n1.htm 
  11. ^ “生肉・刺し身販売しないコンビニ”. 読売新聞. (2013年7月12日). http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20130712-OYT8T00587.htm 

参考文献編集

関連項目編集

参考文献編集

  • 井原俊一『日本の美林』岩波新書 - 高野六木が説明されている。

外部リンク編集