寺尾 威夫(てらお たけお、1905年4月5日 - 1974年5月25日)は、日本の実業家大和銀行元頭取、会長。奈良県吉野郡十津川村出身[1]

経歴・人物

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1929年東京帝国大学法学部を卒業し、野村銀行(のちの大和銀行、統合により、現在はりそな銀行となる。)に入行した[1]

1947年1月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1950年8月には社長に就任し、1951年11月からは大和銀行頭取を務め、1973年4月からは会長を務めた[1]。頭取在職中に、1965年大蔵省から行政指導により、信託業務を分離するように命令を受けたが、これを拒否し、信託併営を堅持した[2]

その一方で、関西経済同友会幹事、大阪商工会議所副会頭などを歴任した[1]

1974年5月25日急性肺炎により死去[3]。69歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1971, て11頁.
  2. ^ 大和銀行 七十年史 p124-p130
  3. ^ 1974年5月25日 読売新聞 夕刊 P11

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第26版 下』人事興信所、1971年。 
先代
有松潤一郎
大和銀行頭取
第6代:1950年 - 1973年
次代
古川進