封 延之(ほう えんし、487年 - 540年)は、中国東魏軍人は祖業。本貫渤海郡蓨県封隆之の弟。

経歴編集

封回の子として生まれた。員外郎を初任とした。529年、仮の征虜将軍となり、渤海郡事を代行した。530年、中堅将軍・散騎侍郎の位を受けた。531年高歓の下で大行台右丞となり、平南将軍・済州刺史に任じられた。532年、征東将軍・大丞相司馬に任じられた。533年、衛大将軍・左光禄大夫となり、郟城県子に封じられた。534年都督として婁昭の下で樊子鵠を討ち、乱が平定されると、青州刺史に任じられた。延之は利殖を好み、青州において多くの賄賂を受け取った。後に晋州事を代行した。537年、高歓が沙苑の戦いで敗戦すると、延之は晋州を放棄して北に逃れた。高歓は激怒して、同罪の者はみな死んだが、延之ひとり死を免かれた。540年6月24日、晋陽で死去した。享年は54。使持節・都督冀殷瀛三州諸軍事・驃騎大将軍・尚書左僕射・司徒・冀州刺史の位を追贈された。は文恭といった。541年10月23日、広楽郷新安里に葬られた。

妻子編集

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  • 封孝纂(後嗣)
  • 封孝源
  • 封孝緒

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  • 長女(盧景柔の妻)
  • 次女(李仁舒の妻)
  • 三女(祖長雄の妻)
  • 四女(崔叔胤の妻)

封氏墓群編集

1948年河北省景県で封氏家族墓群が発掘され、封延之と封延之の妻の崔長暉の墓誌が発見された。

伝記資料編集

  • 北斉書』巻21 列伝第13
  • 北史』巻24 列伝第12
  • 魏故侍中司徒尚書左僕射封公墓誌銘(封延之墓誌)
  • 封氏崔夫人墓誌銘(崔長暉墓誌)