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小川孝喜
日本の政治家
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英文学者の「
小川高義
」とは別人です。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは
推奨されていません
。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(
2023年12月
)
小川 孝喜
(おがわ たかよし、
1887年
(
明治
20年)
1月30日
[
1
]
-
1950年
(
昭和
25年)
11月18日
[
1
]
)は、
日本
の
政治家
。立川町(現:
立川市
)の初代町長、立川市の初代市長である。
概要
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1887年
、初代村長の小川保一の息子として
神奈川県
北多摩郡
立川村(立川町を経て、現在の
東京都
立川市
)に生まれる。
1913年
11月6日
に村議を経て26歳で村長に就任。
1923年
に立川が町政執行すると、初代町長に就任。
1928年
に
中嶋舜司
に町長を譲る。
1928年
には
東京府
議員に就任。
1932年
に再び町長に就任。
1933年
に再び中嶋舜司に町長を譲る。
1940年
に立川が市政執行した時、
板谷信一郎
が初代市長だと思われていたが、何かの都合で小川が初代市長になる。
1942年
に市長辞任。
1947年
には
東京府
議員を辞任。この頃
公職追放
となる
[
2
]
。
1950年
に63歳で死去。
脚注
編集
[
脚注の使い方
]
^
a
b
『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、145頁。
^
総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、
462
頁。
NDLJP
:
1276156
。
追放事由は「翼賛市支部長」。
参考文献
編集
総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。