小川耕一

明治時代の浮世絵師

小川 耕一(おがわ こういつ、生没年不詳)とは、明治時代浮世絵師

来歴

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尾形月耕の門人。姓は山村、名は清助。出身地など詳しい閲歴は未詳。尾形耕一[1]とも表記される。月耕が弓町に住んでいた時期(明治8年〈1875年〉 - 明治14年〈1881年〉)からの古い門人であると伝わる。主にボール表紙本や雑誌の挿絵に腕を揮うが錦絵も描く。雑誌の挿絵の例として、明治26年(1893年)9月刊行の『幼年画譜』、明治29年(1896年)2月刊行の『修身画訓』と『風俗画報』、また同年5月の『小学生徒教育修身の話』などがある。『幼年画譜』は学友館、『修身画訓』は水野書店から出版された。

作品

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  • 「婦人風俗画」 石版画(洋紙) 明治29年(1896年)
  • 「新撰東京名勝図会」 12枚(袋入) 明治42年
  • 「家庭教訓 婦女名鑑」 12枚組 明治42年
  • 「家庭教訓 古今英雄鑑」 12枚組 明治42年
  • 「家庭教訓 女礼式」 12枚組 明治42年

脚注

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  1. ^ 『浮世絵備考』、『資料による近代浮世絵事情』は「尾形耕一」とする。

参考文献

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