小木曾 猪兵衛(おぎそ いへえ、文化12年1月23日1815年3月3日) - 明治22年(1889年9月3日)または小木曽 猪兵衛は、幕末維新期の一揆指導者[1]。号は元亀[1]

経歴・人物

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信濃国伊那郡今田村大平の村役人の家に生まれる[2]。村の漢学者松尾享庵の教えを受け、25歳のときに江戸へ出て浅田宗伯に学ぶ[2]。本業の百姓の傍ら寺子屋を開き、「大平のお師匠様」と呼ばれる[2]。今田村など南山郷の36ヵ村が陸奥白河藩領になってからの年貢増に対し、安政2年(1855年)に同藩の市田代官所に訴え出るが、郡奉行務川忠兵衛によって捕らえられる[1]。この経験から過去の一揆を研究[2]。「佐倉義民伝」を講釈に仕立て、安政6年(1859年)綿密な計画により村々を組織し1600人余を蜂起させ、飯田藩の仲裁により、諸種の労役に対する天領並みの石代納要求を実現させた(南山一揆[2]。晩年は大宮八幡社の神官を務める[2]。法名は教授院信宗元亀居士[2]

脚注

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『小木曾猪兵衛』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『小木曾猪兵衛』 - コトバンク

出典

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