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小林伝吉

小林 伝吉(こばやし でんきち、生年不詳 - 安政7年1月7日(1860年1月29日))は、江戸時代末期の日本の漂流民で、イギリス公使オールコック付きの通弁。

生涯編集

紀州熊野の生まれで[1]摂津の船乗りであったが、乗っていた船が遭難し、アメリカ船に救助され、サンフランシスコに渡る。その後、日本に送り届けられることとなり、他の船員と共にアメリカ海軍の軍艦で清国へ向かった。清国に滞在中、広州領事として勤務していたオールコックに通訳として雇われ、イギリス国籍を取得し、ボーイ・ディアスと名乗った。オールコックが駐日総領事に任命されると、安政6年5月(1859年6月)、オールコックと共に長崎を経て、江戸高輪東禅寺に入り、通訳としてイギリス公使館で勤務する。

洋装の日本人として有名で、短気で傲慢な人物であったという。乗馬で外出しては市中でトラブルを起こしたため、恨みを買うことも多く、幕府では外国奉行を通じてイギリス側に伝吉を解雇するよう勧めた。

安政7年1月7日(1860年1月29日)、東禅寺に置かれていたイギリス公使館の門前に立っているところを、2人のの襲撃を受け背後から短刀で刺されて殺害された。イギリス側は犯人の逮捕と処罰を幕府に対して求めたが、結局犯人は捕まらず、殺害の動機も分かっていない。私怨によるものとも、イギリス人に日本の娘を紹介していたことから攘夷派に狙われたとも言われる。

葬儀は麻布の光林寺でイギリス公使館員によって行われ、同寺の墓地に埋葬された。近くにはヒュースケンの墓所もある。

脚注編集

  1. ^ 『幕末維新全殉難者名鑑』

関連項目編集