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高輪(たかなわ)は、東京都港区町名。現行行政町名は高輪一丁目から高輪四丁目。住居表示実施済区域。

高輪
町丁
品川プリンスホテル
地図北緯35度37分58秒 東経139度44分08秒 / 北緯35.632833度 東経139.735633度 / 35.632833; 139.735633
座標位置:高輪公園付近[1]
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京
特別区 港区
地区 高輪地区
人口情報2025年(令和7年)4月1日現在[2]
 人口 23,628 人
 世帯数 13,032 世帯
面積[3]
  1.39 km²
人口密度 16998.56 人/km²
郵便番号 108-0074[4]
市外局番 03(東京MA[5]
ナンバープレート 品川
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東京都の旗 ウィキポータル 東京都
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地理

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東京都港区の南端に位置し、東京都心の境界に当たる。高輪地区総合支所管内に属する。泉岳寺駅高輪ゲートウェイ駅品川駅のそれぞれ西側にあたる。

泉岳寺をはじめとして由緒ある寺社が数多く点在し、緑多き佇まいの閑静な住宅街でもある。町域は幹線道路である国道1号桜田通り)・国道15号(第一京浜)に挟まれ、JR新幹線京急各線の品川駅都営浅草線泉岳寺駅高輪台駅、そして東京メトロ南北線都営三田線の延伸により設置された白金高輪駅がある。

東海大学付属高輪台高校・中等部東海大学の高輪キャンパスがあり、文教都市としての側面も持つ。また、町域南側にあたる品川駅高輪口周辺にはプリンスホテルを中心とした大規模なシティホテルが多数立地している。高輪ゲートウェイ駅西側では車両基地跡地を活用して高輪ゲートウェイシティという大規模な再開発が進行された。

の多い地形で、全体に南北に長い丘陵地の形をしている。東側はかつては江戸湾東京湾)に面した斜面で、斜面の下を海沿いに東海道が通っていた。東海道は現在の国道15号(第一京浜)であり、江戸の玄関口である高輪大木戸の跡が残されている。西側に下ると国道1号を境に白金白金台と接する。

地価

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住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、高輪1-9-5の地点で188万円/m2、高輪2-12-51の地点で168万円/m2、高輪3-16-8の地点で298万円/m2、高輪4-20-19の地点で175万円/m2となっている[6]

歴史

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江戸時代江戸の町外れで、町人町の他にも高台には諸下屋敷が置かれたことから、明治時代以降に財界人などの邸宅が建ち並ぶ地となった。このため、今でも都心の著名な住宅街の一つとして知られており、2012年と2014年に『週刊ダイヤモンド』誌が行った調査では、いずれも「上場企業の社長/会長が多く住む街ランキング」の第1位になっている。しかし、かつての邸宅の多くは、既にホテルマンション、公共施設に変わり、失われてしまった。 2000年秋の白金高輪駅開設以来、2004年-2005年を境に桜田通り沿いはタワーマンションが目立つようになった。

さらに2020年3月にはJR高輪ゲートウェイ駅開業とそれに伴う線路の東への移動が予定されている。港区は線路による同じ町丁の分断を避けるため、高輪二・三丁目と三田三丁目をやや広げるなど町区域の変更を予定している[7]

地名の由来

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高輪の地名は、戦国時代軍記物語の中に「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり、「高台にある真っ直ぐな道」を意味している。ちょうど丘陵の中心部を南北に走る二本榎通りが、あたかも高い所に張った縄のようであったからと伝えられる。

 
歌川広重

またこのほかに、『吾妻鏡』の中に登場する1189年文治5年)の奥州合戦の際、鎌倉から成田助綱の御供をした人物の一人として挙がっている高鼻和太郎に因んで高輪の地名がついたとする説もある。

沿革

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  • 1524年大永4年) - 高輪原の戦い(高縄原の戦い)があり、北条氏綱上杉朝興の両軍がこの地で衝突し、氏綱が江戸城を勝ち取った。
  • 江戸時代初期 - 高輪の地は南北に分かれ、それぞれ武蔵国荏原郡上高輪村・下高輪村となる。
  • 1662年寛文2年) - 荏原郡上高輪村が町奉行支配となり荏原郡より離脱し、新たに芝田町・芝通新町・芝横新町・芝伊皿子町・芝伊皿子台町・芝伊皿子七軒町・芝伊皿子明下町が起立される。上高輪村が消滅した後も、明治初年まではこの地域を総称して上高輪町と呼ぶことがあった。
  • 1713年正徳3年) - 荏原郡下高輪村が町奉行支配となり荏原郡より離脱し、新たに高輪北町・高輪中町・高輪南町・高輪北横町・高輪台町・高輪小台町が起立される。下高輪村が消滅した後も、明治初年まではこの地域を総称して下高輪町と呼ぶことがあった。
  • 文化年間初期(1810年頃)葛飾北斎『阿蘭陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景 高縄』に描かれる(海岸線の景色)。
  • 江戸時代後期に「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集める。
  • 1868年(明治元年) - 東京府の成立に伴い、高輪地区は東京府に所属する。
  • 1869年(明治2年) - 高輪地区の町域統廃合が行われる。上高輪町のうち芝伊皿子台町は芝伊皿子町に、芝伊皿子七軒町と芝伊皿子明下町はそれぞれ三田松坂町・芝三田四丁目に編入されて消滅する。また、下高輪町のうち高輪北横町は高輪北町に、高輪中町は高輪南町に、高輪小台町は芝二本榎に編入されて消滅し、寺社地に新たに下高輪町が起立される。
  • 1872年(明治5年) - 新橋駅-横浜駅間に日本初の鉄道が開通し、品川駅が高輪南町に開業する。武家地に新たに高輪西台町が起立される。
  • 1878年(明治11年) - 芝区の成立に伴い、高輪地区は芝区所属となる。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 東京市の成立に伴い、高輪地区は東京市芝区となる。
  • 1947年昭和22年)、芝区が赤坂区麻布区と合併し、新たに港区が成立する。それに伴い、高輪地区の町名にすべて「芝」の冠称がつく。
  • 1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示が実施され、高輪地区に周辺の白金地区の一部などを併せて現在の高輪が成立した。

変遷

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実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
高輪一丁目 1967年7月1日 芝高輪西台町、芝君塚町、芝白金丹波町、芝二本榎本町、芝二本榎一丁目、芝三田松坂町、
芝伊皿子町、芝白金志田町、芝白金三光町、芝三田台町三丁目
高輪二丁目 芝車町、芝高輪台町、芝伊皿子町、芝高輪北町、芝二本榎一丁目、芝二本榎二丁目
高輪三丁目 芝下高輪町、芝高輪北町、芝高輪南町、芝二本榎二丁目、芝二本榎西町、芝白金猿町
高輪四丁目 芝高輪南町

史跡

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世帯数と人口

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2025年(令和7年)4月1日現在(港区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
高輪一丁目 4,483世帯 8,033人
高輪二丁目 3,664世帯 6,520人
高輪三丁目 2,524世帯 4,693人
高輪四丁目 2,361世帯 4,382人
13,032世帯 23,628人

人口の変遷

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国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[8]
14,796
2000年(平成12年)[9]
15,439
2005年(平成17年)[10]
18,193
2010年(平成22年)[11]
18,723
2015年(平成27年)[12]
21,943
2020年(令和2年)[13]
22,403

世帯数の変遷

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国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[8]
6,795
2000年(平成12年)[9]
7,668
2005年(平成17年)[10]
9,779
2010年(平成22年)[11]
9,960
2015年(平成27年)[12]
11,702
2020年(令和2年)[13]
12,140

学区

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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年4月現在)[14]

丁目 番地 小学校 中学校
高輪一丁目 1~3番 港区立白金の丘学園 港区立白金の丘学園
4〜5番 港区立御田小学校 港区立三田中学校
6〜27番 港区立高輪台小学校 港区立高松中学校
高輪二丁目 全域
高輪三丁目 全域
高輪四丁目 全域

交通

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品川駅高輪口

鉄道

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バス

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道路

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事業所

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2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]

丁目 事業所数 従業員数
高輪一丁目 254事業所 2,352人
高輪二丁目 397事業所 6,214人
高輪三丁目 634事業所 13,398人
高輪四丁目 374事業所 9,303人
1,659事業所 31,267人

事業者数の変遷

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経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[16]
1,564
2021年(令和3年)[15]
1,659

従業員数の変遷

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経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[16]
36,572
2021年(令和3年)[15]
31,267

施設

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仙洞仮御所高輪皇族邸
 
泉岳寺
 
高輪消防署二本榎出張所

高輪一丁目

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高輪二丁目

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高輪三丁目

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高輪四丁目

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治安

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2024年警視庁が取りまとめた『令和5年区市町村の町丁別、罪種別及び手口別認知件数』では、高輪三丁目で2023年に発生した犯罪認知件数は236件とされており、東京23区の中で14番目に多い町とされている[17]

その他

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日本郵便

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参考文献

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  • 『まち探訪ガイドブック』2007年度版、港区発行
  • 『週刊ダイヤモンド』2012年10月20日号、2014年9月27日号

関連項目

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脚注

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  1. ^ Google Earthより
  2. ^ a b 港区の町丁目別人口・世帯数(住民基本台帳に基づく)”. 港区 (2025年4月17日). 2025年5月9日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ 国勢調査による総合支所別・町丁目別面積、昼夜間人口等”. 港区 (2025年4月21日). 2025年5月4日閲覧。(CC-BY-4.0)
  4. ^ a b 高輪の郵便番号”. 日本郵便. 2025年3月9日閲覧。
  5. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  6. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  7. ^ 山手線の新駅周辺 住居表示を変更「高輪」拡大/港区、線路に合わせ整理へ日本経済新聞』朝刊2019年11月21日(東京経済面)2020年1月6日閲覧
  8. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  13. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  14. ^ 港区立小・中学校通学区域一覧表” (PDF). 港区 (2022年4月1日). 2025年5月9日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  15. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  16. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  17. ^ 東京23区「治安が悪い街」ランキング〈ワースト100〉をすべてみる”. 資産形成ゴールドライン (2024年5月22日). 2024年8月20日閲覧。
  18. ^ 郵便番号簿 2024年度版” (PDF). 日本郵便. 2025年5月9日閲覧。

外部リンク

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