小田 信士(おだ しんじ、1901年〈明治34年〉 - 1997年〈平成9年〉8月11日[1])は、日本の教育者

略歴 編集

1901年山形県生まれ、山形県立 酒田商業学校から、1922年に新設の福島高等商業学校(現在の福島大学)に進学、第一期生として1925年に卒業、さら九州帝国大学経済学部に進み、1930年に卒業。

青山学院専門部および明治学院教授を経て、1946年弘前学院(大学・短大・高校)院長、1960年宮城学院長となり、宮城学院女子大学長を兼務する。併せて、前任校弘前学院名誉院長となる。敬虔なクリスチャンであり、生涯、教育者としてミッションスクールで教鞭をとるかたわら、研究者としては、キリスト教経済思想史の著作を上梓する。

著作 編集

  • 「神と経済の問題」(現代基督教叢書、第8巻、基督教思想叢書刊行会、1935)
  • 「宗教経済文化史」(新光閣、1942)
  • 「教育とキリスト教」(聖文社、1973)
  • 「幕末キリスト教経済思想史」(教文社、1982)

脚注 編集

  1. ^ 『仙台経済界 11-12月号』103頁。

参考文献 編集

  • 『仙台経済界 11-12月号』仙台経済界、1997年。