小田 友重(おだ ともしげ、天正14年(1586年) - 寛永15年(1638年))は、戦国時代から江戸時代常陸国武将小田氏の一族で、小田氏治の庶長子小田友治(八田左近)の次男。豊臣秀頼家臣であった義治の弟。通称は太郎左衛門。喜太郎。

後北条氏家臣の宇都宮為明の養子であったらしい。小田原落城後は不明。

関ヶ原の戦いに際しては徳永寿昌の陣を借り、その後は親戚の縁を頼りに松平定勝の客分となり、どうにか小田氏の家を復興させようと努力する。元和3年(1617年)に自身が名族・小田氏の嫡流であることを主張する「書状草案」を幕府に提出し、身を立てようとしたが叶わず、寛永15年(1638年)美濃にて死去したらしい。享年53。