小野田 快雄(おのだ よしお、1905年明治38年〉10月23日[1][2] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚陸軍司政官

小野田快雄

経歴 編集

岡山県御津郡今村中仙道(現・岡山市北区中仙道)に生まれる[1][2]第六高等学校を卒業[3]1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科に合格し、1930年(昭和5年)3月に東京帝国大学法学部を卒業する[1][2]

同年5月、台湾総督府内務局地方課勤務を発令され、翌月渡台する[1]1934年(昭和9年)9月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任し、1936年(昭和11年)10月、高雄州警務部警務課長に転じた[1][2]。ついで同州内務部勧業課長、府事務官官房外務部課長、台南州産業部長、同州警察部長を経て、1942年(昭和17年)10月、軍政部附として南方に転出[2]1943年(昭和18年)2月、陸軍司政官に就任した[4]。1944年(昭和19年)に退官した[3]

戦後の1947年(昭和22年)、林原(現・ナガセヴィータ)に入社し、取締役を歴任した[5]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 28頁.
  2. ^ a b c d e 興南新聞社 1943, 52頁.
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、272頁。
  4. ^ 帝国秘密探偵社 1943, 海外5頁.
  5. ^ 交詢社出版局 1963, は52頁.

参考文献 編集