尾上榮三郎 (8代目)

日本の歌舞伎役者

八代目 尾上榮三郎(はちだいめ おのえ えいざぶろう、1924年大正13年) - 1945年昭和20年)12月10日)は歌舞伎役者。屋号音羽屋定紋重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。本名は寺島 禧一(てらじま きいち)。

はちだいめ おのえ えいざぶろう
八代目 尾上 榮三郎
屋号 音羽屋
定紋 重ね扇に抱き柏 
生年月日 1924年
没年月日 1945年12月10日
本名 寺島禧一
出身地 東京府東京市
七代目尾上榮三郎
尾上泰次郎(叔父)

来歴・人物

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1924年(大正13年)、東京府東京市に生まれた。父は七代目尾上榮三郎。祖父に六代目尾上梅幸、叔父に尾上泰次郎がいる。

父とは2歳で死別。臨終の際には、父から後を頼むと言われた[1]1929年昭和4年)6月帝国劇場にて八代目尾上榮三郎を襲名した。

日中戦争に従軍し、戦後も国共内戦に従軍していたが、1945年12月10日中国大陸戦病死した。21歳没。

父、自身と立て続けに夭折[2]尾上榮三郎名跡は、その後誰も襲名していない。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 今昔芝居暦 大正13~15年(昭和元年)まるの部屋HP
  2. ^ 他に、四代目尾上榮三郎(幕末期に活躍)も1858年に29歳で死去している。

外部リンク

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