尾崎麟太郎

明治から大正期の実業家、政治家、華族

尾崎 麟太郎(おざき りんたろう、1864年9月11日(元治元年8月11日[1][2])- 1917年大正6年)3月25日[1][3])は、明治から大正期の実業家政治家華族従四位勲四等貴族院男爵議員

経歴

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土佐藩士・尾崎忠治の長男として生まれる[1][2][4][5]。父の死去に伴い、1905年(明治38年)10月、家督を継承し[1][4][5]、同年11月6日、男爵を襲爵した[1][6]

東京帝国大学法科大学を修了[3][4]1883年(明治16年)前橋始審裁判所書記に就任[3][4]。ほどなく退官して、日本銀行文書局書記、同検査役、都銀行取締役などを務めた[3][4][5]1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]、死去するまで在任した[3][9]

1917年3月、神奈川県鎌倉郡鎌倉町長谷の私邸で療養中に死去した[2]

親族

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  • 妻 尾崎亀久衛(きくえ、旧土佐藩士・山田元彦長女)[1]
  • 養子・甥 尾崎忠孝(男爵、弟・郁次郎長男)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』379頁。
  2. ^ a b c 『大正過去帳』122頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』66頁。
  4. ^ a b c d e 『華族畫報 上』516頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第4版』を28-29頁。
  6. ^ 『官報』第6708号、明治38年11月7日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  8. ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、24頁。

参考文献

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日本の爵位
先代
尾崎忠治
男爵
尾崎(忠治)家第2代
1905年 - 1917年
次代
尾崎忠孝