山上曹源
日本の仏教学者
山上 曹源(やまがみ そうげん、1878年10月12日 - 1957年3月21日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。第13代駒澤大学学長、駒澤学園創立者。号は霊岳。別名、天川(てんせん)[1]。
来歴
編集佐賀県藤津郡能古見村(現・鹿島市)大野生まれ。1889年嬉野市永寿寺で出家得度。曹洞宗第一中学林(現・世田谷学園)、1906年(明治39年)曹洞宗大学(現・駒澤大学)卒業。同年11月曹洞宗海外研究生としてインド、セイロン(スリランカ)に留学。1907年よりインド・カルカッタ大学大学院で梵語(サンスクリット)、インド宗教、インド哲学、インド文学を研究。1910年同大学で仏教思想系統論を講じる。1913年(大正2年)帰国。1914年、曹洞宗大学教授。1918年学監兼教授、1927年(昭和3年)駒沢高等女学院(現・駒沢女子大学)・駒沢家政女学校校長を歴任。1933年(昭和9)埼玉県川越市の蓮光寺住職。
1943年(昭和18年)駒澤大学学長に就任(1945年12月まで)[2]。著書に「仏教思想系統論」(英文)、訳書に「ミリンダ王問経」、「国訳大蔵経」編纂など[3]。
1957年(昭和32)自宅にて逝去、享年80歳。
著書
編集- 「国立国会図書館サーチ」を参照
論文
編集出典
編集外部リンク
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